風船おじさんとはピアノ調律師をしていた男性がビニール風船で太平洋を横断しようとした無謀な事件です。
前代未聞のこの事件,いったい何があったのか詳細を見ていきましょう。
風船おじさんとは誰?鈴木嘉和のプロフィールや経歴とは
風船おじさんとは一体だれなのでしょうか?
扇風機おばさんが有名なので、扇風機おばさんのおじさん版なのかと思う方もいるかもしれませんが全然違う種類のお話です。
まずは風船おじさんと呼ばれるこの人物が何者なのかについて確認していきます。
風船おじさんの正体とは?
風船おじさんと呼ばれるこの人物は鈴木嘉和というピアノ調律師です。
鈴木は大きなビニール風船をいっぱいつけた気球でアメリカを目指し空を飛んだお騒がせおじさんです。ピアノ調律師がなぜそんな事をするに至ったのか順を追って見ていきましょう。
風船おじさんこと鈴木嘉和のプロフィールや経歴
風船おじさんこと鈴木嘉和は東京都出身、ピアノ調律師一家で育ち彼自身もヤマハの契約社員で調律師として働いていました。
1984年鈴木義和が44歳の時に音楽教材を販売する会社を設立し、音楽イベントの最後には風船を飛ばす演出が人気となりました。
1986年風船を空に飛ばす演出で事業が軌道に乗り、音楽サロンや麻雀、コーヒーサロンやパブなど幅広く音楽業界以外の事業も幅広く展開していきました。
しかし、1990年拡大していった事業はどれも失敗し5億近くの負債を抱えて倒産します。
5億もの多額の借金を抱える事となりましたが鈴木は諦めずに返済していこうとしました。
1986年12月~1991年2月にかけてバブル期と言われていますのでちょうどその頃の事業ですね。
ここまではバブル期に手広く事業を広げ過ぎて失敗したよくある話ですが、鈴木は事業が落ち始めた頃いくつか事件を起こし、最終的に大きな事件を起こしてしまいます。
事件その1 :横浜博覧会事件
結局7時間も鉄塔に登り続けた鈴木は説得されレスキュー隊に降ろされる事態となり、協会から厳重注意を受けました。
この時鈴木は出店に3000万円もかかったにも関わらず1日の売り上げが10万無い日もあったそうなので鈴木が協会に不満があったのも分からなくないですが、不満のぶつけ方が独特ですね。
話し合いで何とかできなかったのでしょうか。
この事件でも鈴木はかなり変わってる人だというのが分かります。
事件その2: ヘリウム風船失敗事件
1992年椅子にヘリウム入り風船をつけて多摩川河川敷から九十九里浜を目指して飛行する予定が、重りが外れた為急上昇し結局民家に落下した事件です。
急上昇した風船と鈴木は何と高度5000m近くまで上り、地上に戻る為に風船を切り離して高度を下げようとしたところ、今度は急降下し民間の一軒家の屋根に落下しました。
怪我人などは出ませんでしたが屋根を壊された住人に鈴木からの謝罪や弁償はなかったそうです。
超迷惑な人ですね。
ヘリウム入りの風船を椅子に括りつけただけのような作りのもので高度5000mも上昇した姿は今もネット上にあがっていったので見ましたが、飛行機から窓の外を見た時のような雲の上の景色です。
通常飛行機は高度8000m〜10000mを飛行しているので高度5000mがどれだけの高さか想像がつくでしょうか。この高さだと気温マイナス10度越えです。
それにしても驚いたのが風船だけで雲の上まで飛ぶのですね。
雲の上までいけば気持ちよさそうですが思わぬ強風などで落下したらと思うと怖いですね。
鈴木は民家の屋根に落ちてすぐ警察に行く事になりますが、警察から出てきた時の報道陣のインタビュー姿は終始笑顔でした。
その表情はうまくやればもっと飛べていたのに惜しいという表情にも見えました。
この時鈴木の年齢は52歳です。年齢を考えても無茶な事起をしていますが憎めない感じもあります。こんな人が知り合いにいたら面白そうですね。
風船おじさんのファンタジー号事件の概要
これまで見てきたように何度か事件となる問題行動をしている鈴木は、この後最大の事件となるファンタジー号事件を起こします。
ファンタジー号とは?
ファンタジー号とは鈴木が名付けたヘリウム入り風船を沢山付けたゴンドラの事です。
民家の屋根に落ちた「ヘリウム風船失敗事件」での失敗からヒントを得て改善したのでしょう。
今度のファンタジー号は主力風船4個と補助風船20個とかなりの数の風船がついていました。
この時52歳の鈴木が今度は何をするのかワクワクする反面嫌な予感もします。
ファンタジー号事件の概要
ファンタジー号を飛ばす為の試験飛行で大きな事件となってしまいます。
何があったのか事件の詳細を見ていきましょう。
借金返済の為
会社が倒産し5億近い借金を抱えた鈴木が思いついた借金返済方法が、たくさんの風船をつけた気球を飛ばして太平洋を横断しアメリカへ行き、人気者になって得たお金で返済するという無謀な計画でした。そしてこれこそがファンタジー号事件となるのです。
ちなみに鈴木には3度の結婚歴があり、妻と3人の娘がいます。
そんな借金返済方法を聞いた家族はどう思っていたのでしょうか。
試験飛行開始
1992年11月23日、前回民家に落ちて失敗した教訓を生かして今度こそと、琵琶湖でファンタジー号の試験飛行をする事になり、テレビ局や新聞社、同志社大学の教授などが集まりました。
しかし鈴木は密かにファンタジー号でアメリカまで行こうとしていたのです。
ちなみに事前に絶食の訓練までしていたそうなので本気で行けると思ったのでしょう。
風船ゴンドラでアメリカに本当に行けると考えるなんて少年のようなお方ですね。
アメリカへ出発
本来地上と繋いでの試験飛行を許可されていましたがこの日の夕方16時過ぎ、鈴木は突如ロープを外しました。重複しますがロープを外しての飛行は許可されていません。
地上から空に向かって飛んでいく姿を見守っていた同志社大学の三輪教授が
「どこへいくんだ」
という問いに対し鈴木は
「アメリカですよ」
と言い、周囲が止めるのを振り切りアメリカネバダ州を目指し勝手に飛んで行ってしまいました。
海上保安庁出動
翌11月24日イーハブ(船で遭難時、無線で出される遭難信号)のSOS信号が発信され、11月25日海上保安庁の捜索で宮城県金華山沖でファンタジー号が見つかりました。
この時鈴木は捜索機に手を振って、高度2500~4000mを飛んでいました。
3時間以上監視しても高度を上げていき遭難信号も消えた為。「飛行の意思あり」と判断され捜索機の追跡は打ち切りとなりました。
海上保安庁はファンタジー号が行っている可能性のあるアメリカ、カナダ、ロシアに救助要請を出しました。
23日滋賀県の琵琶湖を出て25日宮城県の金華山とは2日経ってもまだ日本上空ですね。
鈴木の計算では、ファンタジー号が高度1万ⅿに行けばジェット気流に乗って40時間でアメリカ到着の予定だったそうです。
風船で飛ばしたお手製のゴンドラで1万ⅿもの場所に体むき出しでジェット気流に本当に乗るつもりだった事が凄すぎます。
今ならきっとYoutuberとして活躍できた事でしょう。
風船おじさんの行方不明の真相やその後とは?生きている説なども
風船おじさんこと鈴木嘉和はその後消息不明となってしまいました。
ただこれには様々な噂が流れています。
なぜ行方不明で未解決となっているのか
なぜ未解決となっているかというと、鈴木の遺体が発見されていない上にファンタジー号の一部も見つかっていないからです。
専門家からは鈴木とファンタジー号の行方について様々な見解が挙げられています。
実際捜索機がファンタジー号を見つけた時すでに風船はしぼんでいたそうです。
探索機が発見した時というのは宮城県沖ですよね。
その時、主力の風船もたった2個になっていたそうなので宮城県沖から数時間で着水しどこかへ流されている可能性があります。
主力風船2個でアメリカには行けないですからね。
行方不明になったその後の情報はある?
その後自衛隊や航空会社がオホーツク海でかなり弱い電波のSOS信号を受信したという事もあり鈴木ではないのかとも言われていました。
そのSOS信号が鈴木であればアメリカ方面ではなく北側に行ってしまったのかもしれません。
また、アラスカで風船おじさんの遺体が見つかったという噂がありますが、アラスカ方面であれば見つかってもおかしくない方向なので可能性はありますが、そこで生きていれば現在82歳になっているでしょう。その後のニュースもないので本人では無かったのでしょうか。
そして行方不明となってから7年後の2000年家族は生きていると信じていましたが、国に説得され2001年失踪宣言が確定しました。
生きている説はなぜ浮上した?可能性とは
鈴木が生きている説はネット上で様々噂されています。
都市伝説的なオカルトな噂もありますがその一部をご紹介します。
現実的なものからありえないものまでありますが、個人的には生きて波乱万丈な人生を歩み続け、自叙伝でも出版して欲しいと思いますがいったいどこへ行ってしまったのでしょうか。
すでに死亡したという説の真相とは
実は生命保険目当てで初めから死ぬつもりで無謀な挑戦をし、死亡して保険金で借金返済するつもりだったのでは?などと噂されています。なぜなら鈴木にかけられていた保険金は2億とも言われているからです。
鈴木はファンタジー号でアメリカ横断したら有名になって借金を返すと周囲に言っていたそうですが、ファンタジー号でアメリカに仮に行けたとしても協賛金をあてにできるものなのでしょうか。
確約もないのにその返済計画も無謀ですよね。
常に無茶な人ですがやはり、いい歳で無謀な夢を実行してしまうところが何か憎めないですね。
結婚していた妻や娘などの家族はどうなった?
鈴木が消息不明となって、妻は会社の共同経営者として家が1億の抵当に入っていた為妻が借金を返済していました。
妻は2016年にポルトガル人と再婚し2000年鈴木の失踪宣言が確定、2017年ガンでお亡くなりになりました。
鈴木が見つからない以上真相は分かりませんが、現実的には海に落ちて魚やプランクトンの餌になり跡形も無くなっているのかもしれません。
仮に他の国に風船で到着できたとしても、パスポートも通さず空から風船で飛んできた外国人は不法入国で捕まるのではないでしょうか。
今後も鈴木の行方は分からないままでしょうが、現実的に考えるより風船おじさんはメルヘンの世界へ行ってしまったと思う方がハッピーエンドなのかもしれませんね。
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