ミウラタケヒロ(兵庫)のwiki風プロフィール!学校や現在までの経歴や活動とは?

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東京パラリンピックが開催されるなか、一人の少年のツイートが話題になっていましたね。

ミウラタケヒロさんという16歳の少年ですが、特別支援学校に通っていたときの話を投稿していたようですが、

障がい者とそれに対する学校側の対応などについて多くの意見がよせられていました。

とそんなミウラタケヒロさんとはどんな方なのか気になったので、wiki風プロフィールと称して経歴や通っていた学校から現在の活動などについてもまとめてみました!

最後までお読みいただけると嬉しいです♪

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ミウラタケヒロ(兵庫)のパラリンピック発言が話題に!特別支援学校でおきた出来事とは?

東京パラリンピックが開催しているなか、開催前のあるツイートがネットニュースで取り上げられていました。

その投稿というのが【僕は触れ合い移動動物園じゃない】という言葉ですね。

これはミウラタケヒロさんが小学校に通っているときに抱いた思いのようですが。
 
というのも、ミウラタケヒロさんはもともと心臓の病気があり、特別支援学校に通っていたそうです。
 
そこで地域の小中学校に出向いて生徒と交流する機会があったようなのですが、
 
校長から【ふれあいを大事にしたいのでぜひまた来てください】といわれたようです。
 
これにたいしてミウラタケヒロさんが抱いた思いというのが、「ふれあい移動動物園みたいじゃないか」ということだったようです。
 
 

このことがなぜ話題になっていたかというと、バリアフリーに対する概念についてが注目されていたからのようです。

yahooニュースのコメントの中にも

バリアフリーは”助けましょう”じゃなくて”誰でも普通に使えるようにしましょう”という視点だし、校長が古すぎる。

校長は助けるつもりかもしれないが、障がい者は平等に扱ってほしいだけ。

東京パラリンピックが開催されるなか、障がい者に関する議論が多くあがっていましたから。

このミウラタケヒロさんの言葉が、多くの人の目に留まったようです。

しかしここで気になったのが、このミウラタケヒロさんとはどんな人物なのでしょうか。

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ミウラタケヒロ(兵庫)のwiki風プロフィール!小学校や中学校から現在までの経歴とは?

乙武さんとの対談などもしていたというミウラタケヒロさんですが、いったいどんな人物なのかなと。

こちらではwiki風プロフィールということで経歴やこれまでの活動などについて調べてみたいなと!

まずはプロフィールについて簡単にまとめてみると、、

名前:ミウラタケヒロ(本名:三浦たけひろ)
生年月日:2005年2月16日
出身:兵庫県芦屋市
 
ミウラタケヒロさんは2021年現在で16歳の少年なのですが、中学校は中退しているようなんですよね。
 
しかし現在は講演や一般社団法人「こどもエンターテイメント」を母親の三浦裕子さんと立ち上げするなど幅広く活動しているようなんです。

設立したのが2018年ですから、当時まだ13歳のころですよね。

でも13歳でそういった活動をしてきたということで、どんな生い立ちや人生を歩んできたのかなと気になってしまいます。

とそんなミウラタケヒロさんのこれまでの生い立ちや学校についても調べてみると、

・生後27日で心臓手術をうける
・生後半年で医療事故により脳障害となる
 
もともとミウラタケヒロさんは複雑心奇形という病気をもちながら生まれてきたようなんです。
 
複雑心奇形とは難病の一つで、無事に生まれてくる確率というのがわずか3%ほどしかないようです。
 
しかしそんななか無事に出産。
 
ですが!さらにその数日後にこんどは余命宣告をされ、寿命は15歳ほどが平均だといわれてしまったようです。
 
そのため急いで生後半年のときに手術をうけたのですが、、当時病院側の医療事故により脳障害をおってしまったようですから。。
 
タケヒロさんは当時入院していたようなのですが、母親のユウさんが目を離した際に看護師さんがタケヒロさんをベビーカーにのせて移動しようとしていたそうです。

しかしその際にベビーカーが何かのはずみで引っ掛かり前輪が止まったことで、ベルトをしてなかったタケヒロさんがベビーカーから落下。

かなり強い衝撃で、頭から床に落下したそうです。
 
この看護師さんによる落下事故が原因で緊急手術、脳内からの出血などもあり大手術となったようですが、、
 
幸い一命をとりとめたけれども、心臓病の手術と脳の手術などを平行するなどタイミングなども重なりとにかく大変な状況だったようです。
 
病院側は医療事故を隠蔽し、認めていなかったようですが、、ひどすぎる話ですね。
 
また、当時心臓病の手術をしていたため、心臓にふたんがかかる「泣く」「笑う」を5歳まで禁じられていたようですから・・
 
タケヒロさんは5歳まで笑うことも泣くこともできない状況だったようです。
 
5歳までの幼少期というと大泣きしたり、とにかく笑ってはしゃいだり、大声出したりとそんな時期なのに、、
 
そんなミウラタケヒロさんは幼稚園に入園拒否をされていたようです。
 
酸素ボンベをしながら生活するミウラタケヒロさんの、チューブが他の園児に引っかかる可能性があり危険だといわれたそうで、、
 
しかしその後酸素ボンベをはずしても暮らせるようになってから再度申請するも、今度は心臓病の病気が理由で入園を拒否されてしまったようです。
 
さらに!小学校も本当は普通の小学校に通う予定だったようですが、学校側から拒否されてしまったようで・・
 
幼稚園を断られているなら無理です
 
なんて理不尽な理由なのかなと思いますが、この理由により特別支援学校に進学していたようですね。
 
 

そんななか特別支援学校、そして中学校に通っていたミウラタケヒロさんでしたが、不登校になっていったようで。

その理由はなんだったのかというと、、

個別の指導がなされないということ
 
どういうことかというと、、
 
・味覚過敏で食べられないものについても食べるように指導される
・心臓病で体力がないのに他の生徒と同じような運動を求められる
 
こういった出来事などによりミウラタケヒロさんは次第に学校にいかなくなっていったそうです。
 
そして中学校2年生のときに、学校にいくのをやめようと決めたそうですから。
 
当時のことについてのミウラタケヒロさんのコメントをみると、
 
「僕は先天的な心臓病で、平均寿命も告げられていました。だから、我慢して学校に通うよりも、会いたい人に会うこと、したいことをすることに時間を使いたいと思うようになっていきました」引用:東洋経済オンライン

そしてその後一般社団法人の立ち上げや講演、乙武さんとの対談など様々な活動を展開していくことになったようです。

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ミウラタケヒロ(兵庫)の現在の活動や講演についても調査!

そんなミウラタケヒロさんが現在立ち上げた一般社団法人こどもエンターテインメントとはどういった団体かというと、、

こどもたちが、自分の発想を持ち、夢を実現するためのサポートをする組織のようです。

またその他にも多くの講演やプロジェクトに関わっているようで、

「みんなで創るTKマガジン」
「みんなの自由な居場所 おかえり」
「タケヒロスポーツプロジェクト〜内部障害の人のためのスポーツ〜」
「HCKプロジェクト」 などなど
 
障がい者のスポーツから、障がい者の子供のためのイベント、ほんの出版から講演などさまざまな活動をしているようなんですよね。
 
 

これからも様々な活動や取り組みをしてくれる方だと思いますので、ぜひがんばってほしいです!

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