株式会社Casaの代表取締役として知られる宮地正剛さん。
宮地正剛さんは不動産業界に新たな風を吹き込んだとして、
様々なインタビューを受けています。
両親は経営者だったので、小さい頃から起業家を目指していたのかというと、元々は経営者になるつもりは全くなかったといいます。
今回は『宮地正剛の経歴や生い立ちなどのプロフィール!』と題して、
宮地正剛さんの経歴や生い立ちをみていきましょう。
宮地正剛のプロフィール
宮地正剛さんのプロフィールがこちらです。
宮地正剛さんは1972年生まれで現在48歳の起業家です。
株式会社Casaの代表取締役として、起業当初から会社の経営を続けてきました。
わずか10年で従業員数400名以上の、東証一部上場企業をつくりだした宮地正剛さん。
不動産業界にITやテクノロジーを導入し、新たな価値を作り出した企業として、多くの取材やインタビューを受けています。
宮地正剛の出身は香川県
宮地正剛さんの出身は香川県高松市です。
両親がもともと香川県高松市で住宅業を経営していたそうで、幼い時からその様子をみていたそうです。
香川県高松市といえば元関西電力社長の芦原義重さんや、
マブチモーター創業者の馬淵健一さん、
資生堂相談役の池田守男さんなど、
多くの実業家を輩出していますね。
宮地正剛さんもそのうちの一人として、すでに刻まれているのでしょう。
宮地正剛は株式会社Casaの代表取締役
宮地正剛さんは株式会社Casaの代表取締役です。
元々2008年にレントゴー保証株式会社を設立した宮地正剛さん。
その後、商号を変更し2010年に株式会社Casaが誕生します。
つまり、宮地正剛さんは代表取締役としてすでに12年以上、株式会社Casaを経営してきたのですね。
株式会社Casaとは?
宮地正剛さんが代表を務める株式会社Casaとは、賃貸不動産の家賃債務保証をする会社です。
以前は賃貸物件を借りるときに、連帯保証人が必要でした。
しかし、連帯保証人がいない人や、用意できない人も多くいました。
そこで、連帯保証人がいなくても、連帯保証人の代わりに家賃を保証してくれるサービスを提供するのが株式会社Casaのサービスです。
連帯保証人がいなくても賃貸物件を借りられるようになったため、株式会社Casaによって多くの人に賃貸物件を提供できる仕組みが生み出されました。
Casaでの宮地正剛の立ち振る舞い
宮地正剛さんは株式会社Casaにおいて、社員や人をとても大事にしていました。
Casa内において『私は社員の親代わり』ということを掲げています。
宮地正剛さんは社員に対して、家族のように接して、全力で愛情を注いでいたといいます。
そのため、採用時の最終面接は長時間に及ぶことが多く、面接後に泣いてしまう候補者もいたそうです。
この涙は圧迫面接の涙ではなく、真剣に向き合って話たことによる涙と話していました。
つまり、宮地正剛さんは株式会社Casaで社員や人を大事にしてきたようです。
宮地正剛の経歴は?
ここからは宮地正剛さんの経歴についてみていきましょう。
出身大学は?
宮地正剛さんの出身大学は国士舘大学です。
国士舘大学といえば、バンブーコーポレーション創業者の竹内敏之さんや、
パーク24代表取締役の西川光一さんなど多くの実業家を輩出していますね。
元々大学に通うつもりはなかった宮地正剛さん。
しかし、両親の勧めから、東京の大学に進学することを決め、国士舘大学に入学することになりました。
大学卒業後の経歴
国士舘大学を卒業した宮地正剛さんの経歴については、すぐに就職はしません。
カナダに留学
宮地正剛さんは国士舘大学卒業後、カナダに3年間留学することになります。
なぜカナダに留学したかというと、材木業が盛んだったからです。
宮地正剛さんの留学の目的は材木に関する知見を広げるためだったため、材木業が盛んだったカナダに3年間留学を決めたんです。
両親の影響により不動産業界に興味を持っていたことから、カナダに留学して勉強しようと考えたんですね。
新興の上場企業に就職
留学から帰国した宮地正剛さんは、新興の上場企業に就職します。
この企業は家賃債務保証事業や、アセットマネジメントを行っている企業で、株式会社リプラスという企業です。
ここで現在の事業の基礎となる家賃保証や不動産関係の経験を積んでいくんですね。
残念ながらこの株式会社リプラスは2008年9月に倒産してしまいましたが、この倒産がきっかけで宮地正剛さんが事業を引き継ぎ、新会社を設立することとなります。
レントゴー保証株式会社を起業
新卒で働いていたリプラスが倒産したことにより、宮地正剛さんは一部の業務を継承して、新会社レントゴー保証株式会社(後の株式会社Casa)を起業します。
リプラスで行っていた家賃債務保証事業を受け継ぎ、宮地正剛さんの手腕で企業を復活させたのです。
元々宮地正剛さんは経営をするつもりはなかったそうですが、
部下やスポンサーなどから大きな信頼を集めており、
みんなに後押しされるように社長に就任したそうです。
当初から人望はかなり厚かったことが伺えます。
資金繰りに苦戦し離職率40%
起業したものの、売り上げが思うように上がらず資金繰りに奔走していた宮地正剛さん
しかし、宮地正剛さんが資金繰りに集中している間に、社内環境は悪化し、離職率40%になっていたといいます。
そこで宮地さんは会社の長期的なビジョンを描き、社内改革をし、あわせて事業の構想も見直します。
結果として、社内制度や体制、社員のモチベーション、売り上げなども順調に向上し、離職率は4%まで下がりました。
そして2010年に社名をCasaと変更するんですね。
社名のCasaの意味は?
Casaという社名の意味はラテン語で「みんなの家」という意味です。
社員を家族のように考え、宮地正剛さんが親代わりになるような、
そんな会社にしたいという願いをこめて社名を変更したそうです。
宮地正剛の生い立ちやエピソード
ここからは宮地正剛さんの生い立ちやエピソードについてみていきましょう。
小学生時代のエピソード
宮地正剛さんの小学生時代のエピソードは、かなり礼儀作法や言葉遣いに厳しい教育を受けてきたそうです。
両親が経営者であることから、礼儀や作法に厳しく、宮地正剛さんはしょっちゅう竹刀でたたかれて叱られていたそうです。
また、小学生時代から多くの習い事に通わされており、忙しい毎日を過ごしていたようです。
宮地正剛さんの祖母は高校教師をしていたようで、幼少期はしょっちゅう高校の職員室で過ごしていたそうですよ。
中学生時代のエピソード
宮地正剛さんの中学生時代のエピソードは、経営者の両親に反発していたといいます。
当時両親のような経営者にはなりたくないと考えていた宮地正剛さん。
しかしサラリーマンにもなりたくないという思いがあり、一時期は美容師や板前などの職人になりたかったといいます。
いろいろアルバイトをして経験をして、中学卒業後は働こうと考えていました。
高校時代のエピソード
宮地正剛さんの高校時代のエピソードは、中卒で働こうと考えていたのですが、父親からの一言で高校進学を決めます。
経営者である父親から『高校くらいは行った方がいい』という一言があり、中卒ではなく高校にいくことを決意します。
その後、祖母からも『大学に行きなさい』という言葉を受けたため、
東京の大学に進学することを決意したようです。
宮地正剛の家族構成は?
宮地正剛さんの家族構成は、父・母・兄・姉の5人家族です。
どうやら宮地正剛さんには兄弟がおり、一番下の末っ子だったようです。
宮地正剛さんの兄と姉もカナダに留学していたそうですので、
現在は大手企業などで活躍しているのでしょう。
宮地正剛の経歴や生い立ちなどのプロフィール!まとめ
今回『宮地正剛の経歴や生い立ちなどのプロフィール!』と題して、宮地正剛さんのプロフィールをみてきました。
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