2002年に愛知県豊川市で起きた男児連れ去り殺人事件。
当時犯人として逮捕されたのは田辺雅樹さん。
しかし無罪を訴え続ける中に、多くの人がこの事件の真相を知りたいと感じたことでしょう。
今回はそんな豊川市男児連れ去り殺人事件についてまとめています。
豊川市男児連れ去り事件の概要
豊川市男児連れ去り事件の概要について、まずは簡単にまとめていきます。
豊川市男児連れ去り事件が起きたのはいつ?
事件が起きたのは2002年7月28日。
時間帯は深夜1時20分ごろです。
そして遺体となった男児が発見されたのは4時間後ということなので、たった3時間~4時間の間におきた事件となります。
豊川市男児連れ去り事件の現場はどこ?
事件が起きた現場は愛知県豊川市白鳥町にあるゲームセンターの駐車場です。
現在はなくなっているようですが。
その後連れ去られた男児の遺体は豊川市御津町の海岸から発見されています。
豊川市男児連れ去り事件の概要
こちらでは豊川市男児連れ去り事件の概要についてもわかりやすくまとめてみました。
事件の流れ
事件の流れはこちらです。
- 豊川市のゲームセンターの駐車場に駐車していた車から、1歳の男児が連れ去られる
- その後近くの豊川市御津町の海岸で遺体で発見される
男児の父親が、友人らと一緒にゲームセンターで遊んでいました。
しかし男児が寝てしまったので、車の後部座席に寝かせ、またゲームで遊ぶことにしたんですね。
その後車に戻ると男児がいなくなっており、警察に捜査願いを出します。
ですがその後三河湾で遺体として発見されることとなりました。
なぜ男児はいなくなったのか
男児がいなくなった際の状況がこちら。
- 午前0時57分~午前1時21分の間にいなくなる
- 車の右側の窓が開いており、そこからいなくなった
当時の現場には様々な人の証言があり、男児の鳴き声を最後に聞いた人が午前0時57分にいました。
しかし1歳の男児がどうやって車からでたのかと。ドアをあけて自分ででることはできませんから。
なので自分で内側から窓をあけ、外にでたのか。そのタイミングで第三者が窓から連れ去ったのかなどが考えられますが。
犯人逮捕
豊川市男児連れ去り事件で逮捕されたのは、田辺雅樹さん。
当時35歳でトラック運転手をしていた田辺雅樹さん。しかしその後もずっと無罪を主張していました。
その後の裁判
田辺雅樹さんの裁判の流れはこちらです。
- 2003年4月 殺人容疑と未成年者略取容疑で逮捕
- 2006年1月 一審で無罪判決
- 2007年7月 逆転有罪となり懲役17年
- 2008年 最高裁でも懲役17年が確定
- 2011年7月 再審請求
- 2022年8月 出所
すでに事件から20年が経過しており、逮捕された田辺雅樹さんは出所しました。
ですが現在でも再審請求し、無罪を主張する構えをみせています。
豊川市男児連れ去り事件の真犯人や真相とは?
豊川市男児連れ去り事件については、逮捕された田辺さんが一貫して無罪を主張していること、不審な点が多いことから冤罪説なども浮上していました。
なぜ冤罪説が浮上しているのか
豊川市男児連れ去り事件でなぜ冤罪説がでているのか、大きなポイントはこちらです。
- 自白を強要させられた可能性がある
- 殺害方法が途中で変わった
- 車に証拠がない
自白の強要
田辺雅樹さんが主張するように、自白が強要されたというポイントがあります。
田辺さんをビジネスホテルに泊まらせ、社会と隔離させつつ孤立感を深め、自白に追い込んだのではといもいわれています。
殺害方法が途中で変わった
事件当初の田辺さんの自白では、男児をガードレールの外に立たせ、背中を押して海に落としたという供述でした。
自白した供述が途中で変わるなんてことあるのでしょうか。
当時の捜査で、男児を突き落としたのに崖下の岩などに当たらず外傷がないという部分が不審がられていました。
その捜査の跡に供述が変更されているポイントなども、自白の信ぴょう性がない気がします。
信号に関する供述
田辺雅樹さんは男児を連れ去り海岸に運ぶ際、青信号に変わったため右折したという供述をしていました。
となるとこの供述は信ぴょう性がますますないことがわかります。
車に証拠がない
個人的に一番のおかしな点は、田辺さんの車に男児の痕跡がないこと。
1歳の男児がおとなしく、髪の毛一本も落とさずに田辺さんの車に乗り、連れ去られたというのはかなり不思議です。
皮膚細胞や衣服の繊維、涙の成分なども何も検出されていません。
真犯人は誰なのか
事件当時の現場は複合施設ということもあり、深夜に関わらず不特定多数の人が出入りしていたようです。
実際に車内にいた村瀬翔くんを見かけたり、あやしたりするグループは複数あったといいます。
なのでこの村瀬純さんの車に近づいてきたグループのうち一つが怪しいのかなと思ってしまいます。
というのも、事件前に村瀬さんの車周辺をよく観察していたグループがおり、どんな人が近づいてきたか等も見ていたからですね。
このグループが嘘をついている可能性や、記憶が正しくない可能性もありますが。
事件の目撃者たち
事件前の村瀬さんの車や、村瀬翔くんをみかけたという証言はこちら。
- 村瀬さんの車の左斜め後ろに車をとめていたグループ
→午前0時頃に村瀬翔くんが窓を開けて身を乗り出しているのを目撃 - 村瀬さんの車近くに原付をとめた高校生グループ
→車内で赤ちゃんが泣いているのを目撃 - 車を覗き込んだ女性グループ
→中にいる村瀬翔君をあやしていた。午前0時57分ごろに村瀬翔君の鳴き声を聞いたと証言 - 近くのコンビニを利用していた男性
→午前1時15分頃に村瀬さんの車そばを通ったが鳴き声などは聞こえなかった
この証言でわかることは、①不特定多数の人が多く出入りしていた②村瀬翔君が自ら窓を開けて身を乗り出して出た可能性
様々な人たちがゲームセンターや近くのコンビニなどを利用するため、深夜でもいろいろな人が出入りしていました。
なのでここにたまたま立ち寄った人が、身を乗り出している村瀬翔君を連れ去ったのかなと考えてしまいます。
連れ去った4時間後には海で遺体になっていたということですから、連れ去ってから殺害までの時間がわずかしかありません。
怨恨などではなく衝動的な犯行だとは思いますが、そうなると真犯人につながる糸口はなかなか見つけにくいと思います。
当時証言した人達の中に、事件について関連している人がいる可能性も十分あるかなと個人的に思いました。
豊川市男児連れ去り事件の田辺雅樹の現在
田辺雅樹さんは、2022年8月に出所しています。
もし冤罪だとするとこの失われた20年はあまりにも大きいですよね。
当時35歳だった田辺さんは現在55歳。
証拠がなく、自白のみで17年の懲役。しかも一度は無罪になったのに。
もし冤罪だとすれば、どうやって田辺さんの人生を取り戻してくれるのでしょうか。
豊川市男児連れ去り事件の子供の父親や遺族のその後とは
事件にあった男児の父親は村瀬純さん。亡くなった村瀬翔さんの父親です。
事件当時はこの父親もかなり批判されていました。
というのも、1歳の男児を深夜のゲームセンターの駐車場に置き去りにして、遊んでいたことなどが批判の理由となります。
そんな男児の父親・村瀬純さんの事件後やその後については一切情報がみあたりません。
当時26歳でしたから、現在は46歳になっているものと思われます。
奥さんのその後や、暮らしなどについても不明です。
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