森淳太朗(ホルマリン)の顔や実名は?現在の姿や家族についても確認!

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12歳の少年の命を奪いホルマリン漬けにしていたという森淳太朗容疑者。

昭和32年の事件とはいえあまりに衝撃的なおぞましい事件だったとして、記憶にある方もいるのではないでしょうか。

銭湯で知り合った少年を連れ去った狂気にも満ちた事件ですが、いったいどんな人物が犯行を行っていたのか。

この森淳太朗容疑者の実名や顔などの情報について調べてみました。

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森淳太朗のホルマリン事件とは?12歳の少年との関係などもチェック!

12歳の少年を連れ去り、最終的にホルマリン漬けにするというおぞましい事件。

1957年に起きた少年誘拐ホルマリン漬け事件について、記憶にあるという方もいるのではないでしょうか。

少年を誘拐し身代金を要求、その後殺害してバラバラにしたあげくホルマリン漬けにしたという凶行でした。
 
この事件では当時12歳だった少年が銭湯にいったっきり家に帰ってこないという誘拐事件から始まっていたようです。
 
12歳の少年が家に戻らず心配していた母親のもとに、一通の脅迫状が届きます。
 
子どもを戻してもらいたかったら、午後4時までに東上線鶴ヶ島駅へ15万持って来い
 
当時の15万円ですから、現在にすると数百万円になるお金を身代金として要求してきたようなんですよね。
 
しかし要求通りお金を用意して指定の場所に向かっても犯人も息子も現れなかったようです。
 
そしてその後も一切足取りがつかめないという状況が続いていたなか、事件が発覚したようですね。
 
発覚した理由は犯人が入院していた精神病院の医師の通報だったようです。
 
「子供を殺した」
 
そう呟いていた男性がいるということで、精神病院の医師が疑問を抱いたようで。
 
その男性の自宅にむかってみると、畳の下からバラバラにされた少年のホルマリン漬けの遺体が見つかったようですから。
 
なぜ殺害したのかというと、自宅に連れ込んで服を脱がそうとしたら拒否されたためというなんとも身勝手な理由だったようです。
 
以前からこの犯人の森淳太朗容疑者は少年に目をつけていたようで、銭湯では背中を流すなどして親密な関係になろうとしていたようです。
 
また、その狂気な一面があらわれているのがその日記ですが、、
 
「金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい」引用:wikipedia
 
なんとも狂気的な犯行ですが、いったいこの森淳太朗容疑者の実名や顔がきになります。
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森淳太朗(ホルマリン)の顔や実名は?現在の姿や家族についても確認!

森淳太朗容疑者の実名は林邦太郎で、顔はこちらの画像となっています。

昭和32年の画像なのでわかりにくいですが、一見普通の男性のようにもみえます。

しかし実際には子供を殴り、殺害し、その後のこぎりやナタでバラバラにしていた人物ですから。
 
そんな林邦太郎容疑者ですが、囲碁の世界で活躍する林有太郎氏の長男だったことがわかります。

囲碁七段という実力のあった囲碁棋士の息子だったということも当時話題になったようです。

そんな林邦太郎容疑者は懲役10年という判決をうけて、服役をしていたようですが。

精神科に入院していたことなどがあり、その責任能力が問われていたのですが・・

責任能力は結果的に認められたんですよね。

にもかかわらず10年という短い刑期には、疑問ですが。

懲役10年ということですでに現在は出所しているんですよね。

そこで気になるのは出所後から現在までどのような暮らしをしているのか。

ちなみに事件当時の年齢が26歳ですから、2021年現在では90歳となっているはずですね。

となるとすでに他界している可能性もあります。

また、結婚して子供、そして孫などがいる可能性もありますね。

事件後の足取りについてもかなり昔の事件となるので、その情報がほとんどでていないようです。

一説には製薬会社で働きながら、社長にのぼりつめたという説もあるようですが。

確証がある情報ではないようです。

しかし少年に対する異常なまでの執着などが、10年の服役で消えるとは思えません。

また、狂気的な犯行を行った人物がそんなにすぐ更生できるとは考えにくいですからね。

もしかしたら精神科などの施設に入所したりしていたのかもしれませんが。

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森淳太朗(ホルマリン)の被害者の実名や顔は?現在の遺族についても確認!

引用:wikipedia

少年誘拐ホルマリン漬け事件の被害者である12歳の被害者の顔や名前などは見当たりませんでした。

しかし被害者の父親は相撲からプロレスに転向していた清美川梅之選手でした。

もともと大相撲力士として活躍したのち、プロレス界に参入し人気をあつめた選手だったようで。

身長182㎝、体重94キロという体格を生かして活躍していたようです。

しかし事件当時はすでに離婚していたため、被害者の少年とは別居していたようで。

さらに、事件時は海外に滞在していたようですから。

1980年に63歳という若さで亡くなっていますが、息子への無念の気持ちややりきれない思いは抱き続けていたはずです。

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