24年前に、日本だけでなく世界にも衝撃を与えた神戸連続児童殺傷事件、通称「酒鬼薔薇聖斗事件」。
異常な犯行や、犯人が14歳の少年だったことも、世間を騒がせました。今回は、少年の現在や冤罪説についても、深く調査していこうと思います。
神戸連続児童殺傷事件とは?概要から凄惨な犯行についてを確認
神戸連続児童殺傷事件が起きたのはいつ?時代背景なども確認
事件が起きたのは、1997年2月10日から5月27日にかけてです。
2000年に名古屋中学生5000万円恐喝事件、豊川市主婦殺人事件など、凶悪な少年犯罪が続発したことにより、刑事罰対象年齢を14歳に引き下げ、16歳以上が故意の犯罪で人を死亡させた場合は検察官に送致すること、少年保護の範囲内で被害者や家族が事件について情報を得たり、意見を述べたりできる改正案が成立しました。
少年犯罪は刑罰が軽くなってしまいますが、例え少年であれ殺人を犯した犯人が正当に裁かれないならば、被害者は報われないのではないでしょうか。
神戸連続児童殺傷事件の現場となった場所はどこ?
兵庫県神戸市須磨区で、事件は発生しました。連続殺傷事件の第4の事件の殺害現場と遺体切断現場はタンク山山上、頭部遺棄現場は神戸市立友が丘中学校正門でした。
タンク山とは神戸市須磨区友が丘にある「竜の山」が地元で通称「タンク山」といわれているようです。
タンク山の場所は神戸市須磨区友が丘にあります。
頭部が置かれた友が丘中学校もすぐ近くにあります。
4つもの事件が同じ区内で起きたのにも関わらず、犯人逮捕が遅れた原因が気になるところです。
神戸連続児童殺傷事件の事件概要!凄惨な犯行から凶器も確認
神戸市で起きた4つの事件とは
第1の事件は、2月10日午後4時頃、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人が、加害者にショックレスハンマーで殴られ、1人が重症を負いました。
第2の事件は、午後0時25分、神戸市須磨区竜が丘の公園で、加害者が付近にいた小学4年生の女児を金槌で殴り付けて逃走しました。女児は病院に運ばれましたが、3月23日に脳挫傷で死亡しました。
第3の事件は、同日午後0時35分頃、加害者は小学3年生の女児の腹部を刃渡り13cmの小刀で刺して、2週間の怪我を負わせました。ナイフの刃先は胃を貫通しており、静脈の一歩手前で止まっていましたが、達していたならば救命は不可能だったそうです。
第4の事件は、5月24日の昼過ぎ、加害者は町内を1人で歩いている男児を偶然見付け、咄嗟に「僕より小さいので殺せる」と思い男児の方に近付いたそうです。
男児を殺害後は、タンク山のアンテナ施設の床下に遺体を隠したそうです。午後8時50分に被害男児の家族より、兵庫県須磨警察署に捜索願が提出されました。
タンク山で事件が発覚
5月25日、加害者はタンク山の遺体の元へ行き、黒いビニール袋の上に置いた男児の遺体を、糸ノコギリで切断しました。
加害者は切断した頭部を地面に置き、鑑賞しながら「この不可思議な映像は僕が作ったのだ」という満足感に浸ったそうです。
小刀で口の方から両耳にかけて切り裂きました。加害者はその後に入角ノ池に行き、遺体の頭部を木の根元の穴の中に隠したそうです。
頭部が友が丘中学校の校門前に遺棄
5月26日、被害男児の行方不明事件として、午前11時40分に須磨警察署が公開捜査を開始しました。加害者は入角ノ池へ向かい、自宅に持ち帰っています。男児の頭部を風呂場で丁寧に洗い、自分の部屋の天井裏に隠しました。
5月27日の午前1時頃から午前3時までの間に、加害者は警察にとって1番盲点となるように、遺体の頭部を神戸市友が丘中学校の校門前に遺棄しました。また捜索を撹乱するために、遺体の口に本や漫画の文章を引用した手紙を咥えさせたそうです。加害者はその光景を5~6分眺めた後、帰宅しました。
犯人からの声明文
6月4日、神戸新聞社宛に第2の声明文が届きます。
この声明文には、発見された遺体の頭部に添えられていた犯行声明文と同じ文書が同封されており、事件に関わった人物しか知ることのできない文面であったため、いたずらではなく犯人によるものだと確定されました。
6月28日、現場近くに住む加害者に任意同行を求め、事情を聞くことになりました。
当初は犯行を否認していましたが、取調官が第1の犯行声明文のコピーを取り出して
と突きつけると、自供を始めたそうです。
午後7時5分、殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕しました。同時に、通り魔事件に関しても犯行を認めました。
加害者の人の道を外れた異常な行為に、ただただ恐ろしい思いです。
神戸連続児童殺傷事件の犯人は誰?酒鬼薔薇聖斗の実名や顔も調査!
神戸連続児童殺傷事件の犯人は誰?事件の動機も確認
事件当時14歳の神戸市友が丘中学校に通う男子中学生です。
「酒鬼薔薇聖斗」と名乗っいました。
加害者には、人を殺したいという欲望があったそうです。
加害者はこれまでに何十匹もの猫を殺して首を切り落としていたそうですが、猫だとナイフ1本で切れるため、人間の首を切ってみたいという気持ちもありました。
興味本位で人を殺したいなんて、どうしてそう思ってしまうのか、謎が深まるばかりです。
神戸連続児童殺傷事件の犯人の酒鬼薔薇聖斗の実名や顔とは?
犯人である酒鬼薔薇聖斗の顔についてはネット上でもすぐに見つけることができます。
当時14歳で、見た目は特に普通の学生のようにも見えます。
また、酒鬼薔薇聖斗の実名については当時少年だったため報道されていませんでした。
しかし、その後「東真一郎」というのが本名じゃないかといわれているようです。
酒鬼薔薇聖斗の生い立ちや経歴!
加害者は、父親と母親、弟2人の5人家族だったそうです。母の日には、似顔絵をプレゼントしていました。
中学校では入学早々から繰り返される加害者の問題行動に手を焼いていたため、加害者の保護者も精神科医に診察を受けさせていましたが、精神科医は学校の中で指導する方がいいという判断を下し、児童相談所には通所させませんでした。
加害者は第4の事件の犯行9日前の5月15日から、友が丘中学校には登校せず、母親とともに神戸の児童相談所に通い始めたそうです。これは、5月13日に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、歯を折るなどの怪我を負わせたためでした。
ごく普通の家庭で育ち、問題行動は多いですが、加害者の両親はまさか子どもがこんなことをするなんて、思っていなかったと思います。
酒鬼薔薇聖斗の両親や家族とは?
加害者の母親と父親は、その後文藝春秋より母親の手記と育児日誌、父親の日記から編成した「「少年A」この子を生んで……」を刊行しています。
2007年3月、第2の事件で死亡した女児へ医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられました。
現在遺族への慰謝料は、加害者の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月に加害者から4,000円と両親から8,000円支払われているそうです。
慰謝料を払わなくてはいけないことはわかりますが、手記の出版は被害者から見たら辛い思いだと思います。
神戸連続児童殺傷事件の被害者は誰?実名や顔なども確認!
神戸連続児童殺傷事件の被害者はなぜ狙われた?
第4の事件で、加害者が男児を知ったきっかけは、加害者が小学5年生の頃に小学校の中に身体障害者のために「なかよし学級」があり、その中に男児がいることを知りました。その後、加害者の1番下の弟が同級生であったこともあり、男児が家に遊びに来るようになったそうです。
罪もなく、ただ顔見知りで通りがかっただけど殺されてしまうなんて、こんなおかしいことがあってはならないと思います。
神戸連続児童殺傷事件の被害者は誰?顔や実名とは
被害者の名前は、当時11歳の土師淳さんです。加害者と同地区に住む放射線医師の次男でした。男児は事件当日、祖父の家に行くと言って午後1時40分頃自宅を出たそうです。
被害者は、事件当日もいつも通り生活していたと思うと、やるせない気持ちになります。
神戸連続児童殺傷事件の被害者の遺族は現在どうしてる?
第4の事件の被害者である土師淳さんの父親の土師守さんは、弁護人とともに「少年審判への関与と情報開示の要求」に取り組みました。
要求は却下されましたが、粘り強い交渉の上、公式の審判では認められませんが、判事室で判事が被害者遺族に会って話を聞くということができるようになりました。
また、犯人は両親ではないかとの憶測すら乱れ飛んだそうです。被害者の父親は、これを「マスコミによる暴力」と表現しました。
息子が殺されてしまって辛いにも関わらず、このように法律やマスコミと戦っていて、本当に尊敬します。
神戸連続児童殺傷事件の犯人の現在とは?顔や今の状況も確認
神戸連続児童殺傷事件の犯人の現在とは?顔やその後も確認
2004年秋には、ある団地の一室で法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行うなど社会勉強中だったそうです。
夕方5時に退所後は、保護司宅で面談を受け、毎週1回は精神科医のカウンセリングを受けていました。
また、別の身元引受け人と養子縁組して名前を変えた他、出生地や学歴など偽のプロフィールを用意して、同僚や付近住民も正体を分かっていないそうです。
現在は苗字が変わり、西岡真になっているという情報もありました。
2015年6月10日には、32歳となった加害者が手記「絶歌 神戸連続児童殺傷事件」を刊行しました。「元少年A」名義となっており、犯行当時及び現在の本名は記載されていません。手記の出版に対して被害者の遺族は出版中止と回収を求めていましたが、増版されたそうです。
内容は、「絶歌」の出版経緯をめぐる自分自身の「些細な名誉回復」を中心とした自己主張が大部分を占めており、被害者遺族への謝罪や事件に対する反省の記述はなかったそうです。
少年院を出所しても、何も変わっていない様に僻的とします。そんな加害者が世間に出るなんて、恐ろしいです。
その後この事件をモチーフにした映画作品『友罪』が公開されました。