川崎中一殺害事件の犯人の現在とは?加害者や家族の今に迫る!

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川崎市で起きた未成年の少年たちによる、中学1年生の暴行殺害事件。

あまりにも凄惨な犯行に加えて、加害少年たちの家庭事情にも焦点が当たりました。

今回は、川崎中一殺害事件について深く調査していくとともに、加害少年たちの今についてまとめていきたいと思います。

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川崎中一殺害事件の概要とは?未成年の少年たちの凄惨な事件を確認!

川崎中一殺害事件はいつ起きた?当時の時代背景も確認

事件が起こったのは、2015年の2月20日の午前2時頃でした。

この日は、被害者の弟の誕生日でもありました。2011年には、大津市中二いじめ自殺事件がありました。

本当は家族でお祝いをする日であったと思うと、被害者と家族のことがいたたまれません。

川崎中一殺害事件の起きた現場はどこ?

現場は、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷でした。被害者の遺留品は、200m離れた伊勢町第一公園の公衆トイレで燃やされました。

この時期の多摩川河川敷は、相当寒いと思います。被害者は本当に辛かったでしょう。

川崎中一殺害事件の概要!未成年少年3名による卑劣な犯行とは?

2015年2月19日の午前2時頃、主犯格の少年は加害少年2人とお酒を飲んでいたそうです。

気が大きくなったこともあり、被害者に暴行を加えるために呼び出し、多摩川河川敷へと連れて行きました。

被害者の携帯電話を多摩川に投げ捨てた後に、加害少年の1人が主犯格にカッターナイフを渡したことがきっかけとなり、被害者の体をカッターナイフで切り付けました。

被害者の体に傷が付いたことから、警察沙汰になることや被害者の知人に復讐を受けることを恐れて、殺害することを決意したそうです。

加害者による卑劣な犯行

しかし、主犯格の少年は被害者を殺害する覚悟がなかったため、加害少年たちに命じて切らせたり、多摩川で2回に渡って裸で泳がせました。

約1時間の間に43ヶ所も切り付けました。

加害少年の1人は、被害者を2度もコンクリートを頭を叩き付けたそうです。

加害少年たちは被害者を殺害できずに、河川敷に放置したまま立ち去りました。被害者は23.5m這いましたが、出血性ショックで亡くなりました。

その後加害少年たちは、コンビニでライターを2本購入して、伊勢町第一公園の公衆トイレにて被害者の衣類を燃やしました。

事件の発覚と判決

午前3時頃、伊勢町第一公園の公衆トイレから出火していると119番通報がありました。午前6時15分頃、多摩川河川敷で通行人が被害者の遺体を発見して、110番通報しています。

2月27日午前11時、母親と弁護士とともに川崎署に出頭してきた主犯格の当時18歳の無職の少年、午後0時30分と午後1時30分に加害少年2人をそれぞれ殺人容疑で逮捕しました。

3月10日、横浜地裁は主犯格に懲役9年以上13年以下の不定期刑を言い渡し、控訴はされず刑が確定しました。

3月14日、加害少年の1人が懲役4年以上6年6ヶ月以下の不定期刑が言い渡され、刑が確定しました。2017年1月25日には、加害少年のもう1人である、主犯格にカッターナイフを渡した少年が懲役6年以上10年以下の不定期刑が確定しました。

深夜の多摩川河川敷で、助けも呼べずただ暴行に耐えるしかなかった被害者のことを思うと、本当に辛い気持ちです。

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川崎中一殺害事件の犯人は誰?加害者の実名や顔などもチェック!

川崎中一殺害事件の犯人は誰?主犯格の顔や実名なども確認

主犯格の実名は舟橋龍一、顔写真もネット上に挙がっています。2015年3月5日発売の「週刊新潮」には、主犯格の少年の実名と顔写真が掲載されたそうで、弁護会からの講義があったそうです。

舟橋龍一は、日本人でトラック運転手をしていた父親とフィリピン人でホステスをしていた母親との間に生まれたハーフで、姉が2人いました。

ハーフであることから、小学校時代から同級生らにいじめられていたそうです。

父親も母親も、舟橋龍一に暴力を振るうことが度々あったそうです。そのため、家にも学校にも居場所がなく、自宅近所にあったイトーヨーカドー内にあるゲームセンターに入り浸っていたようです。

他の加害者少年二人の顔や実名とは

加害少年の2人は、柴山和也と樋口リキ、どちらもネット上に顔写真が挙がっています。柴山和也は、同じく母親がフィリピン人であり、同じ境遇にあった舟橋龍一の非行グループに入りました。

柴山和也が生まれてすぐに父親が失踪して離婚したため、母親は夜の仕事をしながら子どとたちを養っていましたが、ほとんど家に帰らず育児放棄をしていました。

そのため、柴山和也は小学校時代から、家の一切をしていました。

また、母親は日本語が話せなかったため、柴山和也と妹とは言語でのコミュニケーションが取れませんでした。

勝手にフィリピンに帰ってしまうこともあり、戻ってきたかと思えば頻繁にヒステリーを起こして、子どもたちをタガログ語で怒鳴りながら殴りつけたそうです。

母親は彼氏を家に連れ込むようになったため、柴山和也は居場所を失ったそうです。

樋口リキは、川崎市内の鉄鋼製造工場で工場長をしている日本人の父親と母親との間に生まれた子どもでした。

5歳年上の兄と、2歳年上の姉を持つ末っ子で、両親は育児放棄や虐待などすることもなく、樋口リキは大人しく人見知りながらに意志を通す頑固さがあったそうです。

しかし、樋口リキの頑固さは成長とともに悪い方向に進み、同級生との喧嘩が絶えず、母親は小学校から中学校時代にかけて5回ほど呼び出しを受けていました。

加害少年たちも、複雑な家庭事情を抱えていたため可哀想ではありますが、人を殺すということは、どんな理由があっても許されません。

川崎中一殺害事件の犯人の動機は何だったのか

主犯格は事件前に、酒を飲んだ勢いで被害者の顔に怪我を負わせてしまったことがあります。

そのことに対して、被害者の学校の先輩とその兄が怒り、主犯格の家に押しかけたといいます。また兄弟は主犯格が賽銭泥棒をしていることを知ったため、警察沙汰を引き起こしました。

被害者を守ってくれる知人がいることへの羨ましさから、主犯格は被害者を逆恨みするようになったのです。

この時点で、もっと警察が動いてくれていたらと思わずにはいられません。

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川崎中一殺害事件の被害者は誰?名前や顔なども確認

川崎中一殺害事件の被害者は誰?名前や顔なども確認

被害者の名前は、上村遼太さんです。両親が離婚したことで小学校6年生の頃に、母親と兄弟らとそれまで住んでいた島根県の島から、母親の実家のあった川崎区に引っ越しました。

引っ越し先でも、可愛らしい顔立ちと愛嬌のある性格ですぐに友達ができ、中学校に入るとバスケットボール部に所属して、男女問わず人気があったそうです。

被害者は主犯格に万引きを強要されて断って以降、主犯格から暴力を受けるようになったといわれています。「グループを抜けたいが、怖くて抜けられない」と話していたそうです。

みんなから人気のあった被害者が、加害者グループと関わってしまった原因は何だったのか、被害者の家庭事情にも理由の一端があるのかもしれません。

川崎中一殺害事件の被害者はなぜ被害にあった?

前述の通り、主犯格から暴行を受けた際に被害者の知人が怒って、主犯格の家に押しかけたことがきっかけで、主犯格は被害者に対して「守ってくれる知人がいて羨ましい」と、逆恨みをするようになります。

加えて事件当日は、主犯格がお酒に酔っていて気が大きくなっていたこともあり、被害者に暴行をすることを決意したのです。

また、当初は暴行だけのつもりであったそうですが、加害少年の1人が主犯格にカッターナイフを渡したことにより、被害者への暴行がエスカレートしたようです。

カッターナイフで人を切ってしまったらどうなるか、死んでしまうかもしれないということが、どうしてわからなかったのでしょうか。

川崎中一殺害事件の被害者遺族の今とは?当時の状況も確認

2019年4月に、被害者の母親が取材に応じています。

「相反する2人のわたしがいる。遼太と一緒にいてあげないといけないと思うわたしと、ほかの子供たちのために、前を向いて生きていかなければいけないと思うわたし。思い出にとらわれていては、生きている子供たちに申し訳ない。本当はずっと遼太の側にいてあげたい。」

と語ったそうです。

遺族は転居したそうですが、長女、次女、三男はそれぞれ小中高校に進学したそうです。

母親は、同居していた男性と再婚して、「上村」を改姓しました。家族全員が夫方に本籍を移せば、被害者は戸籍上からも消えてしまうことを案じた長男は、転籍しなかったそうです。火葬後も遺骨は自宅にあるそうです。

被害者の母親のその後

母親は、事件後から抗うつ薬と向精神薬を常用しています。薬効に頼れば、どうにか4時間ほどは就寝できるといいます。

数年前に始めた児童福祉の仕事は、子どもが好きなことを再認させてくれる「救い」だったそうですが、辞めてしまったそうです。

被害者支援に役立つ資格を取ろうと入学した通信制の専門学校も続けられなかったそうです。

「いつか支える側に立ちたい」

「でも、いまは生きるのがやっと」

と語ったそうです。再婚した夫は多摩川を越えるとき、さり気なく現場を迂回してくれます。

「マザコン」で「親バカ」で、友達のようだった親子だそうで、もっと厳しく接するべきだったのか、育て方を誤ったのか、と一時期は悩んだそうです。子どもたちは、被害者への生前からの溺愛ぶりを茶化しながら励ましてくれるそうです。

最愛の息子を亡くしてしまった悲しみは、一生癒えることはないのかもしれません。しかし、遺族に少しでも幸せになってもらいたいと、願うばかりです。

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川崎中一殺害事件の犯人の現在とは?加害者家族の今に迫る

川崎中一殺害事件の犯人の現在とは?

事件当時未成年だった加害少年らは獄中で成人を迎え、3人は総合訓練施設で出所後に職業に就くためにそれぞれ違う技能を学んでいるようです。

主犯格は職業資格を取得したと言われています。32歳となる2028年頃に出所予定となりますが、不定期刑のため獄中で態度が更生したと認められれば2024年頃に出所となる可能性があります。

加害少年の1人は、母親がアメリカに渡ったため、出所後の身元引受人は祖母となっています。

もしも加害者たちが早めに出所するとしたら、本当に更生できているのか、また同じような事件を起こすことはないのか、不安で仕方がありません。

※追記
読者様の情報によると、犯人のうち一人は川越少年刑務所10工場で電気通信設備科において職業訓練を受けているそうです。
しかし事件に対しての反省はあまりみられないとの情報もありました。

川崎中一殺害事件の加害者の家族の今とは

加害少年2人の家族は、転居したそうです。主犯格の家族だけが、川崎区に残っているそうです。

事件後にインターネット上で本名や自宅住所などの情報が流されたこともあり、家の塀には赤いスプレーのようなもので落書きをされていたそうです。

また、投石によってひび割れた玄関の窓もそのままになっています。

事件後には「息子は何もやってないよ」と語気荒く答えていた父親は、その時の取材では、

「話せることは何もないよ。息子の様子?申し訳ないけど、そっとしておいてくれないか。普通の生活をさせてくれないかな」

と語ったといいます。父親はかなり老けてみえたそうです。

息子が殺人を犯した父親でありながら、普通の生活を要求するのは、同情することができません。息子であり、加えて未成年の息子であったため、両親も一緒に罪を償う覚悟を持つべきです。

川崎中一殺害事件のその後変わったことなどはある?

文部科学省は再発防止策検討のチームを設置して、全国の小中高校と特別支援学校を対象にして、7日以上連続で連絡が取れず、生命や身体に被害が生じる恐れがある児童・生徒がいないかどうか緊急調査を実施しました。

また、週刊新潮が主犯格の実名と顔写真を報じたことに対してインターネット上では賛否の声が上がったそうです。

週刊文春も、少年法について時代に即した法改正をすべきだと識者コメントを紹介した上で、先進国でも少年を20歳で区分しているのは日本ぐらいで、18歳に引き下げるのは妥当だとの専門家の見解も伝えました。

少年法に対しては、疑問に思うことがあります。それ以上に、被害者ばかり実名や顔写真が晒される現状について、辛い思いしかありません。

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