赤ちゃん取り違え事件とは新生児が病院の手違いにより別の親に引き渡されるという現在ではあまり聞かなくなった事件です。
今回はこの事件を振り返りつつ、その後や現在はどうなったのかについてまとめています。
赤ちゃん取り違え事件の概要!なぜ事件は起きたのか
赤ちゃん取り違え事件は赤ちゃんを間違えて違う親に引き渡してしまった為に血のつながらない親子が親子として生活し、後に他人と発覚した悲劇な事件です。
取り違えの事実を知らされた人々の運命を変えた事件の詳細を見て行きましょう。
事件はいつ起きた?時代背景なども確認
事件は1958年(昭和33年)に起きました。
この年は東京タワー完成、新1万円札発行(聖徳太子像印刷)、長嶋茂雄巨人に入団、ハガキ1枚5円、朝日麦酒より日本初の缶ビールが発売された年でした。
今は見ない聖徳太子像印刷の1万円札やハガキが1枚5円とは2023年現在ハガキ1枚63円ですから今から60年以上前、時の流れを感じます。
事件現場はどこ?場所や住所も確認
取り違えのあったとされる病院は東京都墨田区にある東京都立墨田病院です。
この病院は1988年に閉鎖されています。
この病院が閉鎖されている時点で赤ちゃん取り違え事件の解決が難しそうだと予想できます。
赤ちゃん取り違え事件の概要!なぜ事件は起きたのか
1958年(昭和33年)4月10日東京都墨田区にある都立墨田病院でAさんは生まれました。
Aさんは父、母、弟の4人家族でしたが、身長や見た目、食の好みの違いや両親とそりが合わない、親戚同士も話が合わない事からずっと違和感があったそうです。
食の好みの違いやそりが合わない事は本当の親子でも普通にある事ですが身体的特徴である身長は、父親160センチ前後、母親140センチ前後、弟160センチ前後でAさん180センチ、確かに違和感があります。
家を出る
1972年Aさんは両親とうまくいかず14歳で家を出て住み込みで働きながら中学を卒業します。
中学卒業後は10回以上職を転々とし、20代で結婚し子供1人授かるも2年程で離婚。
しかしその後貴金属業と不動産会社を設立しました。
中学で家を出て住み込みの仕事とは昔は14歳でも住み込みで働けたのですね。Aさんは職を転々としつつも貴金属業と不動産会社を起業するとは、かなりやり手の実業家のようです。
血液型の違和感
ある時母親が体調を崩して入院した際、血液検査により母親の血液型がそれまでA型と思っていたのがB型であるという事が判明しました。
父親の血液型がO型なのでA型であるAさんはこの両親の血液型(O型とB型)から生まれないという事です。
Aさんは血液型について色々調べると突然変異説の存在を知り、それだと思い込むようにしました。
動揺したでしょうが突然変異があるようだと自分を納得させたのですね。
確かに私の周りでも「小さい頃O型だと思っていたら大人になって実はA型だと分かった!」という人の話を聞いた事がありますが、血液型の変化について下記のようなケースはあるようです。
- 変異型
- 血液検査の判定誤り
- 病気による変化
DNA鑑定
遂に2004年AさんはDNA鑑定する決意をし、その結果両親とAさんに親子関係なしという判定が出ました。
Aさん46歳の時でした。
46年間親だと思っていた人がある日突然他人だったと知らされたら混乱しますよね。
Aさんはずっと家族に違和感があり、ソリが会わず早くに家を出ている訳ですから、今の家族と血が繋がっていないショックよりも本当に血の繋がった家族との良い親子関係を期待したのではないかと思います。
DNA鑑定後
DNA鑑定結果により化学的にこれまでの家族と親子関係にない事が分かり、Aさんは実の親に会う為に行動に出ましたが、数々の難題がありました。
裁判
2004年Aさんと育ての両親は東京都を相手に裁判を起こしました。
2006年東京高裁は墨田産院での取り違えを認めた上で東京都に2000万円の支払を命じました。
裁判の結果2000万円の支払いとなりましたが、Aさんは本当の親を探したかったので本当の両親探しなども要望しましたが受け入れられず納得はいっていないようです。
墨田産院で産まれた声がけでの人探し
墨田産院で産まれたであろう墨田区を歩き、同世代の人を見かけては声をかけて事情を話し、産まれた病院と血液型を聞いて取り違えられたもう1人を探しました。延べ60件ほどに声をかけましたが有力な情報はありませんでした。
かなりの人数に声をかけましたが個人が探すには限界があったようです。
冷静に考えてみたら事件から46年後に発覚し探し始めたわけですから、取り違えられたもう1人の男性は墨田区に住んで居ない可能性は十分あります。60人に声をかけて見つかったらそれは奇跡かもしれません。
墨田産院産まれの情報開示請求
東京都に対し、墨田産院で同時期に産まれた人の開示請求をするも墨田産院は既に廃院しカルテもない、取り違えも想像にすぎないとされました。
戸籍は残っている為、Aさんの前後に50人墨田区に出生届があることが分かり開示を求めましたが、Aさんが知りたい情報は個人情報である為、ほぼ黒く塗りつぶされた資料を見せられ意味のないものでした。
確かに今の時代第三者に出生地の情報や連絡先などの個人情報を開示できないのは仕方ない事ですね。
今回のケースでは残念ですが、簡単に第三者に開示できてしまったらストーカーや詐欺、犯罪などに悪用される事がありますからやむお得ないでしょう。
都の職員による調査を希望するも却下
第三者への個人情報開示が厳しいのは仕方ないとして、東京都の職員がAさんと出生届の近い人達に直接アポを取ってもらえればとお願いするも受け入れてもらえませんでした。
東京都(都立墨田産院)のせいで起きた取り違えなのですから見つかるか見つからないかは別として親探しに協力してあげて欲しいものです。
都の職員がいきなり家に訪ねてなくても、出生届けの近い方々に通達を出すとか、都のホームページに掲載する、駅などにポスターを貼るなどから反応を見るなど協力できないものなのでしょうか。
赤ちゃん取り違え事件の被害者は誰?その後や現在に迫る
この赤ちゃん取り違え事件の被害者はいったい誰なのでしょうか?
被害者の方について見て行きましょう。
被害者は誰?実名や顔とは
被害者のAさんは江蔵智さんです。
取り違えの相手の方や本当のご両親、また似ている人を知っているなど有力な情報があるかもしれないとメディアに出て取り違えの出来事を世間に公表しました。
被害者家族の現在やその後とは?
被害者江蔵智さんとご家族について確認していきます。
父親
育ての父親、江蔵董(ただし)さんは2015年病気で亡くなりました。
父親の董さんは昔、ギャンブルと酒浸りの日々で江蔵智さんは酔っぱらった董さんからよく殴られていたそうです。
智さんには弟さんがいますが、何故か殴られるのはいつも智さんでした。
母親
江蔵智さんの育ての母親江蔵チヨ子さんは2018年のテレビ取材で86歳でしたから2023年91歳になります。
江蔵智さんが14歳で家を出てから久しぶりに母親に会うと、老いた母親の姿を見て育てもらった事へ感謝の気持ちでいっぱいになり、現在は認知症のチョ子さんと一緒に暮らしています。
弟
裁判の判決後も本当の両親を探す智さんに対し弟さんは
「今更取り違えの相手に会ってどうするの?」
「兄貴は1人でいいよ」
と、弟さんは今さら別な人物が本当の兄だと言われても受け入れられないと言いました。
Aさんはこの言葉が嬉しかったそうです。
この事から智さんと弟さんの関係は良かった事が伺えます。
弟さんの言葉は嬉しかったことでしょう。しかし、このような衝撃的事実を知らされたら本当の両親や取り違えの相手に会いたいと思うのも分かります。
あなたならどうしますか?私がこの状況なら血の繋がった本当の親や兄弟姉妹に会いたいと探すかもしれません。
赤ちゃん取り違え事件は沖縄でも起きている
沖縄でも赤ちゃんの取り違え事件は起きてしまいました。
こちらの事件についても見て行きましょう。
事件概要やなぜ事件が起きたのか
1971年(昭和46年)にも沖縄県の病院で産まれた2人の女の子が病院の手違いにより取り違えられ、違う親に引き渡されてしまいました。
本やTV映画化
沖縄で起きたこの取り違え事件はノンフィクション作品「ねじれた絆」という書籍となり、福山雅治主演映画「そして父になる」の参考作品、賀来千香子主演TBSテレビ水曜プレミア「ねじれた絆~赤ちゃん取り違え事件の真実~」が放送されました。
発覚
1977年(昭和52年)沖縄県の病院で産まれた2人の少女は、幼稚園の血液検査により両親の血液型から少女が生まれない事が判明し、病院での取り違えがあった事が発覚しました。
やはりこの事件でも血液検査で両親から生まれない血液型が判明しています。
被害者はどんな人物?
沖縄での取り違え事件の被害者の方について確認していきます。
母親A
この取り違えられた片方の母親Aは血液型から我が子では無いと判明し、酷くショックと衝撃を受けました。
病院は責任を取り、取り違え相手と連絡を取りお互いを会わせる場を設けますが、病院の対応に納得できず裁判となります。
母親B
取り違えられたもう1家族の母親Bの家庭内は複雑でBが浮気している上、Bの夫はBの姉との間に子供が生まれ、家庭内に問題がありました。
母親Bの夫がBの姉との間に子供を儲けるとはかなり複雑な家庭環境ですね。
子供にとって良い環境とはいえなさそうです。
2家族が同じ敷地に住む
両家族は比較的近いところに住んでいたので週1回はお互いの家族と会いましょうと交流を続ける事になりますが、6年経ち2つの家族は同じ敷地に住む事になりました。
母親Aの家庭は愛情を持って子供に接し、母親Bの家庭では家庭内崩壊が起きている状態だった為、母親Bの家に戻された娘もAの家に入り浸るようになりました。
家庭環境を考えても子供はAの家庭が良かったとなりますよね。
母親Bは娘がAの家に行きたがるのが面白くなかったようです。
取り違えられた子供が元の親に戻っても、お互いの家族が交流していこうと良い関係のように見えましたがそうはいきませんでした。
その後
結局取り違えにあった娘さん2人とも、愛情をもって子供達に接した母親A側の夫婦の子として家族となりました。
母親Bにとっては娘を失う形となってしまいましたが、取り違えられた娘さん2人は幸せに暮らされているという事ですので壮絶な体験をしましたが、今後幸せな人生を歩んで欲しいです。
取り違え事件によりその後変わったことは?対策など
現在の対策
・出生後バンドの取り付け
・連れ去り防止のための防犯カメラ
・足の裏など体に直接名前の書き込み
(バンドが外れた場合の対策)
江蔵さんの場合や沖縄での取り違え事件は血液型で親子関係が成り立たない事から判明しましたが、発覚していないだけでベビーブームの頃は取り違えが多かったようです。
また恐ろしい事に生まれた赤ちゃんを盗んで持っていってしまう事件もあったのです。
生物学的にありえる血液型であれば普通はDNA鑑定しようと思いませんから、発覚していないものは相当あるのでしょう。
これは勝手な想像ですがこの先、生まれてすぐ体内へICチップを埋め込む時代が来るかもしれませんね。
現在は取り違えの問題より、養子縁組により両親と血が繋がっていない事を子供が知った場合、子供が産みの親についての情報開示請求した場合の対応が議論されているようです。
今回は「生みの親より育ての親」「親子の絆とは」「血の繋がり」について考えさせられました。
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