熊谷男女4人殺傷事件の少女のその後や現在とは?加害者と被害者の今に迫る!

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平成に起きた残虐な殺人事件、熊谷男女4人殺傷事件。

あまりにも残忍な犯行や、加害者が平成初めての死刑になったことでも、記憶に鮮明に残っています。


今回は、熊谷男女4人殺傷事件についての概要と、加害者と被害者の今について詳しく調査してみようと思います。

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熊谷男女4人殺傷事件とは?平成の凶悪事件の概要を確認!

熊谷男女4人殺傷事件はいつ発生したのか

2003年の8月18日に、事件は発生しました。午後1時から午後4時にかけての日中に起こったのにも関わらず、事件の目撃者はいなかったのでしょうか。

熊谷男女4人殺傷事件の現場となった場所の住所

現場となったのは、埼玉県熊谷市です。熊谷市箱田7丁目のアパート、秩父市黒谷にある美の山公園、熊谷市内大麻生の国道140号線沿いにある建築解体会社の資材置き場が、犯行現場になっています。

 

アパートや資材置き場での犯行は人目につかないこともあり、目撃者がいなかったことに納得がいきます。

熊谷男女4人殺傷事件の事件の概要とは?犯人の手口や凶器も確認!

加害者はまず、恋人である少女と知り合いの少年を連れて、午後1時頃に少女の二股相手である被害者Aのアパートに向かいました。

当初、被害者Aは職場の同僚Bの部屋にいたため、少女に自宅に戻るように言われて戻ることになりました。

そこで、加害者が被害者に激しい暴行を加えました。

その際、被害者が当初一緒にいた職場の同僚の女性Bも、被害者Aの部屋に連れ込まれました。同僚の女性Bに見せつけながら、被害者Aに暴行を加え続けた後、背部と腰部、大腿部など数ヶ所を刺して殺害しました。

被害者の同僚の女性が3人拉致される

午後1時20分頃、被害者Aの職場の店長が被害者Aと連絡がつかなかったため、同じアパートに住む被害者Aの同僚の別の女性Cに様子を見に行くように依頼しました。

女性Cは被害者の部屋を訪れ、加害者に部屋に連れ込まれました。その際に、被害者Aの遺体を見せつけられて脅されました。

被害者Aの同僚の女性2人を監禁したまま、少女は被害者の財布に入っていた現金を窃盗したといいます。

同僚女性Cの1人は、同居人の女性Dがいたため、その女性Dも被害者の部屋に連れ込まれました。加害者はその女性Dにも被害者Aの遺体を見せつけて脅し、午後1時40分頃に車で3人を拉致しました。

3人の女性に対する卑劣な犯行

加害者は、少年と少女と共に被害者Aの同僚女性3人BCDを後部座席とトランクに閉じ込め、秩父市方面へ向かいました。

秩父市黒谷にある美の山公園の駐車場で、まず1人の女性Dを降ろして女子トイレに連れ込み、性的暴行を加えた後に首を絞めて、殴る蹴るの暴行を加えました。

その後に、意識を失った女性Dを美の山公園に放置しました。

加害者は次に、トランクに乗せた女性Cを車外に降ろし、首を絞めた上で右背部を3回刺して殺害しました。そのまま、遺体を道路脇の崖に投げ落としました。

最後に加害者は、残る女性Bを熊谷市大麻生の国道140号線沿いの建築解体会社の資材置き場で降ろして、包丁で胸などを刺して唇と鼻にアロンアルファを塗った上で、両手足をビニール紐で縛って放置しました。

事件の発覚

午後4時45分頃、美の山公園で倒れていた女性Dを通行人が発見して、110番通報をしました。女性Dの証言により、熊谷市のアパートで殺害された被害者Aの遺体が発見されました。

午後8時50分頃、熊谷市大麻生の資材置き場で被害者女性Bが、そこに車を置いていた男性に発見されました。

翌日の8月19日の午前6時5分頃、道路脇の崖に投げ落とされた女性Cの遺体を、犬の散歩中の男性が発見しました。

あまりにも残忍な犯行に、恐怖でいっぱいですし、被害者の方々のことを思うと心が痛みます。

熊谷男女4人殺傷事件はなぜ凶悪事件と注目を浴びたのか

1日の内に4人を殺害の対象としており、2人を殺害した稀に見る重大な凶悪事件であり、犯人の非人間的さを感じざるを得ない事件でした。

また、加害者が任意同行される際に捜査員が刺股を持って警戒していましたが、煙草をふかしながら「逃げるつもりはねえよ」などと話しているシーンが、テレビによって全国放映されたことも、注目を浴びる一因となったと思われます。

加えて、犯行に加担した少女の存在も大きかったと思います。当時16歳でありながら、殺人幇助をしたことには大きな衝撃を受けましたし、殺人現場での異常な行動といった報道も記憶に新しいです。

あまりにも残忍で凶悪な事件なだけに、多くの人の印象に残ったと思われます。

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熊谷男女4人殺傷事件の犯人は誰?加害者の実名や顔などの情報もチェック!

熊谷男女4人殺傷事件の犯人は誰?主犯格の加害者の実名や顔も確認

加害者の内、主犯格の男性の名前は尾形英紀です。当時26歳だったといいます。顔写真も、ネット上で公開されています。

元稲川系暴力団員であり、当時はゲーム喫茶店を経営していました。少女とは、交際関係にあったそうです。

加害者の生い立ちとしては、中学生の時にはテニス部の主将を務める傍ら、シンナーを吸い始めていたといいます。

また、バタフライナイフで同級生の左胸部と背部を刺して、怪我を負わせたこともありました。

その後、金属バットを用いた強盗致傷事件を起こして中等少年院送致となります。

退院後すぐに傷害、恐喝事件を起こし再び中等少年院送致となりました。高校に進学するも中退して暴力団関係者と交遊を持ち、一度暴力団に所属して幹部組員となりました。

1998年2月23日には、傷害、暴行、恐喝未遂、道路交通法違反で懲役1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決を受けます。
2001年4月18日には、傷害罪で懲役6ヶ月の実刑判決を受けて執行猶予は取り消しになりました。

加害者の16歳の少女は誰?実名や顔から生い立ちなど

前科の多い主犯格の男性に比べ、加担していた16歳の少女は、父親の兄弟への虐待を目の当たりにしながらも、心優しい少女だったといいます。

しかし、母親と父親の離婚の後に母親に引き取られますが、経済的な理由から父親のところに引き戻されます。

その後、父親に置き去りにされて母親のところに戻っています。母親からも父親からも見捨てられたことは、少女にとっては深い傷であったと思われます。

転機は、少女が過去に虐待を受けていたのに関わらず、父親に会いに行った時でした。その時に父親に無視され、そこから非行に走ったそうです。

少女は未成年だったこともあり、実名も顔写真も公開されていません。吉村カオリ(仮名)ということでしたが、本名はわかりませんでした。

しかし、事件当時主犯格の男性をはやし立てたり、絶命寸前の被害者男性の頭部を踏み付けたり、そんな殺人現場で被害者の現金を窃盗するなど、異常な行動が見てとれます。

事件翌日には、窃盗したお金でショッピングを楽しみ、逮捕後に検察官による取り調べに対して、

「(今1番したいことは、)ファミレスとかゲーセンに行って、他の客を見て、あいつは変だとか言って、笑いたい」

と答えるなど、常識とは外れた言動が伺えます。

何度も犯罪を繰り返す主犯格の男性も怖いですが、当時16歳であった少女の異常な言動に恐怖を感じます。家庭環境によってここまで人格を歪ませてしまうのかと思うと、本当に恐ろしいです。

熊谷男女4人殺傷事件の犯人の動機とは?

きっかけは、ファミレスで少女が加害者に放った「被害者に姦淫されそうになった」の一言でした。

少女は、加害者と被害者と二股交際をしていたといいます。

その発言を聞いた加害者は、被害者の殺害を決意したそうです。あとの3人の女性の殺害動機としては、被害者男性を殺害したことの口封じでした。

加害者と全く関係のない女性3人が、口封じのために殺されてしまうなんて、こんなに理不尽で恐ろしいことはありません。

熊谷男女4人殺傷事件の加害者と被害者の関係

前項で述べた通り、加害者と被害者は少女に二股交際はされており、加害者からしたら自分の恋人を寝とられたと思ったそうです。

また、被害者女性3人の内2人は被害者男性の職場の同僚であり、もう1人は同僚女性の同居人という、加害者とは全く関係のない人物でした。

全く関係のない人から殺されてしまうなんて、被害者女性は想像してなかったでしょうし、彼女たちの恐怖を思うと心が痛みます。

熊谷男女4人殺傷事件の加害者の現在や今の姿

加害者は、死刑判決が言い渡され、2010年7月28日東京拘置所にて死刑が執行されました。

少女は、殺人幇助、殺人未遂幇助でさいたま家裁に送致されましたが、「事件の発端を作り、関与の度合いが大きい」として、さいたま地裁へ逆送致されて起訴されました。

2004年11月18日には求刑通り懲役5~10年の不定期刑を言い渡されて確定しました。現在は、社会復帰しているそうですが、足取りは全く掴めていません。

少年は、少女と同容疑でさいたま家裁に送致され、中等少年院送致長期の保護処分を受けました。現在は社会復帰しているそうですが、こちらも足取りは掴めていません。

未成年だからと言っても、少女の罪は大きいと思います。確かに判断能力は欠如していたと思いますが、軽い判決で良いのかと疑問に思います。

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熊谷男女4人殺傷事件の被害者は誰?現在の姿や遺族の状況を確認

熊谷男女4人殺傷事件の被害者の実名や顔とは?

被害者の実名や顔ですが、調べましたが出てきませんでした。現在社会生活を送っている女性Dのために、実名と顔は伏せられているのかもしれません。ただ、被害者男性Aは飲食店チーフの鈴木さんという方だそうです。

被害者や遺族からしたら、実名や顔が公開されるのは辛いです。調べても出てこないのが、1番良いのかもしれないと思いました。

熊谷男女4人殺傷事件の被害者の現在やその後はどうなった?

秩父市黒谷にある美の山公園で倒れていた被害者女性Dは、通行人に発見された後に秩父郡皆野町の病院に搬送されました。その後一命をとりとめたのですが、その後の足取りは不明です。

熊谷市大麻生の資材置き場に放置された被害者女性Bは、そこに車を置いていた男性に発見されました。助け出されると間もなく意識不明の重体に陥ったそうです。

胸部からの出血が多く、搬送先では輸血の処置が取られ、その結果意識が回復しました。

2005年の取材時点では、棒のように伸ばした腕をさすって、

「今も他人が包丁を手にしているのを見ると、腕がこんなふうに硬直してしまうんです」

と話していたそうです。

天気の具合によって、刺された胸の傷跡がすごく痛むそうです。

ちょっとした物音に反応して起きてしまうので、ラジオをつけっぱなしにして寝ているそうです。

「事件の公判が始まってからは、円形脱毛症になりました。被害を受けたことによるPTSDだと診断され、今も東京の病院へカウンセリングに通っていますが、なかなか症状はよくなりません」

と話していたそうです。被害者Bは今も、事件の恐怖に怯えて生活せざるを得なくなっています。

身体の傷が癒えてきても、心の傷が癒えるのには時間がかかると思われます。目の前で人が殺されて、自分も殺されそうになって、そんな恐怖を想像するだけで辛い思いになります。

熊谷男女4人殺傷事件の被害者遺族の現在の状況とは

被害者遺族の現在については、なかなか調べることができませんでした。

しかし、加害者少女の母親は取材に応じたそうで、内容を説明していきます。

取材を受けたのは、少女の刑の確定後だそうです。

「今後は娘の幸福だけを考えていきたい。そっとしておいてほしいのが本音なんです」と語っていたそうです。

加害者の母親としては勝手なように思えますが、母親自身も娘がしてしまった過ちに対して様々な葛藤に苦しんでいるのだと思いました。事件は、被害者や遺族だけでなく加害者の家族をも苦しめるのだと、改めて実感しました。

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