17歳の少年がバスジャックを行い死傷者を出すという、社会に大きな衝撃を与えた西鉄バスジャック事件。
少年の家庭環境や引きこもり問題にも、焦点が当たりました。
20年以上経った今でも、多くの人々の心に新しいのではないでしょうか。
当時人質となっていた女の子は現在どうなっているのか、そして犯人の今など事件のその後にも迫ってみました。
西鉄バスジャック事件の概要!社会的影響を与えた衝撃の事件とは?
事件の発生した日時や時代背景とは?
事件が発生したのは、2000年の5月3日の12時56分から翌日の午前5時です。
1997年には神戸連続児童殺傷事件や、2000年には豊川市主婦殺人事件が発生して、いずれも17歳が犯人でした。
実際に加害者は、前述の事件の犯人を賞賛する「すばらしい!よい風潮だ」「僕もこうなりたい」など手記を残しています。
17歳の少年が残虐な事件を起こす、そんな時代背景が少年を殺人者へと導いてしまったのでしょうか。
事件の発生した場所や現場
佐賀第二合同庁舎発、西鉄天神バスセンター行きの西日本鉄道の高速バス「わかくす号」車内で、事件は発生しました。
九州自動車道の太宰府インターチェンジ付近で加害者が犯行をしてから、東広島市の奥屋パーキングエリアにてSATが突入するまでバスジャックは続きました。
佐賀から広島までの長い距離を監禁されていたと思うと、被害者の恐怖は計り知れません。
西鉄バスジャック事件の概要!警察との攻防戦の行方とは?
西鉄バス発車後の13時35分頃、事件は起こりました。
刃渡り約40cmの牛刀を持った加害者が運転手に牛刀を突き付け、乗客に対して
「天神には行くな。このバスを乗っ取ります」
「おまえたちの行き先は天神じゃない、地獄だ」
と言いバスを乗っ取りました。
加害者は九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、乗客にはカーテンを閉めさせました。
高速道路交通警察隊がバスを追尾し始めた頃、山口県の小郡インターチェンジ付近で走行中のバスから高速道路に飛び降りて負傷している乗客を発見。
1名を救出しました。この乗客の証言によって、警察はバスで負傷者の発生を知ることになります。
人質の解放とSAT突入による逮捕
バスは、東広島市の奥屋パーキングエリアにて数時間後停車しました。
膠着状態が続いた後、加害者はバスを次のサービスエリアである小谷サービスエリアまで向かわせますが、ここでも長い膠着状態となりました。
加害者の両親は説得のため現場へ向かいましたが、加害者は応じることを拒否しました。
車外からでは異常事態に気付けない状況が、発見や加害者確保を遅くさせてしまったのだと思います。
西鉄バスジャック事件の犯人は誰?顔や実名からその生い立ちや動機に迫る!
犯人は誰?顔や実名もチェック
犯人は当時17歳であったため、顔や実名は公表されていません。
残念ながら、調査してみても顔写真は見付かりませんでしたが、名前は谷口誠一というそうです。
17歳の少年がこんなに残虐な事件を起こすことに、驚きを隠せません。
犯人の生い立ちや動機とは?
加害者は、1983年に佐賀県に生まれ、一般家庭で育っています。
教育熱心な母親の存在、祖母から家を継ぐ人間としての自覚を叩き込まれるなど、プレッシャーを感じていたといいます。
小学校から成績は良く、周囲からは優等生と見られていたそうです。
一方で協調性に乏しく、学校では同級生に馴染めなかったため、いじめの対象になりました。
いじめの標的となった加害者
中学校へ入学すると、2年生まで学年で2番の成績を誇っていました。
母親を「貴様」と呼び命令口調で話したり、両親に罵詈雑言を浴びせて物を投げ付けることもあったそうです。
着地に失敗して、腰椎損傷の重症を負い入院しました。
病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したものの、入学後9日で校風が会わないと中退したそうです。
高校中退からひきこもり生活
当初は大学入学認定試験を目指していましたが、両親にパソコンをねだってからは2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中して、自宅で引きこもりを始めます。
家庭内暴力は、さらに悪化していったそうです。
そこで、頻繁にテレビに出演している精神科医の町沢静夫さんに連絡を取って相談しました。
町沢さんは両親からの要請を受けて、2000年3月5日に佐賀県警と国立肥前療養所に連絡をしたそうです。
肥前療養所は、すぐに加害者の医療保護入院を許可して、即日入院させました。
入院生活から犯行に至るまでの経緯
入院が決定した際、加害者は両親に対して
「貴様ら、前から僕を精神科に入院させることを考えていたのか。この恨みは絶対忘れないからな。覚えていろよ」
と怒りを露にしていましたが、実際に入院すると、医療スタッフや他の入院患者にも礼儀正しかったそうです。
やがて、加害者や両親と医者との話し合いの上で外出許可が出されます。
しかし後述する、当時ハマっていた2ちゃんねるで煽られたことが原因で、事件を起こしたと言われています。
当初加害者の計画では、いじめられていた母校の中学校を襲い、校舎の1階から各教室で生徒に危害を加えて3階の教室に立てこもり、飛び降りるつもりだったことから、いじめられていた恨みも動機だったのだと思います。
家族からのプレッシャー、中学生の時のいじめがあり、インターネットに逃げるも闇に遭遇したと思うと、加害者の生い立ちにも救いがなかったのではないでしょうか。
西鉄バスジャック事件の別名「ネオ麦茶」とは何?
「ネオ麦茶」とは、加害者が2ちゃんねるで使用していたハンドルネームです。2ちゃんねるでは投稿を荒らす、有名な固定ハンドルネームです。
加害者は2ちゃんねるが創設されて間もない頃、「キャットキラー」という固定ハンドルネームを使って書き込みを行っていました。
これを不愉快に受け取った加害者は、
「1,000レス目を取った方が勝ち」
という勝負を提案しますが、敗れてしまいます。
逆上した加害者は罵詈雑言を書き込んだ後で、
「キャットキラー」というハンドルネームから「ネオ麦茶」に改名する
という、固定ハンドルネームを使い続けることによる反感を買います。
ユーザーたちは、批判的な反応をする方が多かったそうです。
外出許可の翌日、加害者は近くのホームセンターで牛刀を購入した時に、再び「ネオ麦茶」のハンドルネームで
「ヒヒヒヒヒ」
と書き込みを残します。
これが、事実上の犯罪予告と見なされています。
インターネットは、使い方次第では凶器になります。
多くの人が傷付け傷付けられ、便利な反面インターネットの闇は深いのだと思いました。
西鉄バスジャック事件の犯人の現在やその後は?
西鉄バスジャック事件の判決
佐賀家庭裁判所は、事件当時の加害者の責任能力は認めたものの、精神鑑定結果で「解離性障害や後遺障害の症状」を指摘。
それを受けて、隔離した施設で日常的に精神科医の観察が必要であると判断しました。
加害者が精神疾患を患っているとしても、比較的軽い判決に被害者からしたら納得できないのではないでしょうか。
西鉄バスジャック事件の犯人の現在やその後とは?
加害者は2006年1月に、京都医療少年院を仮退院しています。
その後3月まで保護観察処分となって、同年3月26日に保護期間を満了して退院しています。
少年院を退所した後に社会復帰したとされていますが、その後の消息については不明のままです。
退所後も、被害者や遺族に対して一切謝罪に来ることはなかったそうです。
しかし子どもが加害者となった両親は、
と、涙を流しながら被害者を訪ね歩いたそうです。
2001年4月には、被害者22人に対して賠償金を支払うことを決めました。総額にして1,380万円に上ったそうです。
父親は妻と娘を養うために仕事を続けていましたが、2002年の春頃には辞めています。
佐賀市内に持っていた2階建ての一軒家は売り払ったそうです。
殺人事件は被害者だけでなく加害者家族も苦しめるのだと、改めて痛感しました。
西鉄バスジャック事件が世間に与えた影響
この事件は、約3ヶ月後に発生した新潟少女監禁事件と共に、引きこもり問題の社会的認知度を大きく上昇させました。
また、この事件の模倣犯が4件程起きているそうです。
車内の異常事態を車外から察知できるように、ハザードランプの高速点滅や車両後部に設けた非常灯の点灯、行き先表示に「SOS」「緊急事態発生」などと表示できるようにしました。
広島県警警察ではその事件を教訓に刑事部捜査第一課に突入チーム「HRT」を創設して、バスジャックや人質立てこもり事件に対処できるようになりました。
この事件の影響を受けて事件を起こしてしまう加害者がいることは辛いですが、事件の影響を受けて改善していくことも多いのだと気付きました。
西鉄バスジャック事件の被害者女性は誰?実名や遺族の今
西鉄バスジャック事件の被害者は誰?実名や顔とは
この事件で死亡した女性は、塚本達子さんです。
顔写真も報道で挙がっています。小学校の教諭を経て、子育てや教育支援として「幼児室」を立ち上げ、「成績ではなく、子どもと付き合う」ということを、よく話していたそうです。
子どもと真剣に向き合ってきた1人の女性の死は、本当に辛いですし、彼女の無念を思ってしまいます。ご冥福を祈るばかりです。
西鉄バスジャック事件の遺族の今
2018年には、被害者の息子が取材に答えています。
「加害者と両親もどこにいるのかわかりません。相手を恨む気持ちが強くなると立ち直れなくなるので、会いたくもありませんが」
と語ったそうです。
遺族からしたは、加害者にも加害者家族にも会いたくないというのが当然の気持ちだと思います。
西鉄バスジャック事件の人質の女の子の今は?他の被害者の現在も調査
当時6歳の少女は事件後は狭い場所が苦手になり、眼鏡をかけている人を怖がるようになったそうです。
母親も、しばらくは包丁を握りませんでした。
加害者から全身10ヶ所以上も切り付けられ、奇跡的に助かった山口由美子さんは、重症を負わされました。
しかしその後、このような少年を作らないために佐賀市内の不登校や引きこもりの子どもや両親のためのサークルを設立して、子どもの居場所づくりを決意して活動を続けています。
宮城から鹿児島まで全国500回近く、様々な地域や施設で講演を行っています。
辛い目に遭いながら、加害者の背景を考えてそのような少年が出ないように尽力するなんて、並大抵てできることではありません。彼女の活動に、深く尊敬します。
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