今やテレビで話の高市早苗さん。総裁選の行方が気になるところではありますね。
女性初の総理大臣が誕生する可能性のある今回の総裁選だけに、人々の注目も集まっています。
そんな高市早苗さんの生みの親である母親について今回は調べてみました。
高市早苗の家族構成とは?結婚した旦那との出会いや子供も確認!
まずは高市早苗さんのご家族構成からご紹介します。
高市早苗さんは2004年に、自民党議員の山本拓さんと結婚されました。
2003年に高市早苗さんは、衆院選奈良第一区で落選してしまい、気持ち的にも落ち込んでいる時期でした。
高市早苗の弟(知嗣)の現在や使途不明金事件とは?過去の報道から今の状況についても調査!
山本拓さんはすでに高市早苗さんに好意があったことから、この頃に山本拓さんからプロポーズしたようです。この時のプロポーズは電話によるものであったそうです。
この時の返事も、電話によるものであったといわれています。
それまでの二人は、お付き合いをしていたわけでもないようですし、大恋愛という印象でもありませんが、二人は晴れて夫婦となります。
そして結婚後の二人は、政界では「おしどり夫婦」と呼ばれていたようです。
ですが、同じ政治家である弊害もあったのでしょうか。
その間にも、山本拓さんとの業務上の対立はあったと思われます。そして、その格差に悩むこともあったのでしょうか。
おしどり夫婦と呼ばれながら、お互い多忙な日々を過ごす二人には、もはやこれからも夫婦のあり方について話し合う機会はなかったのかもしれません。
すれ違いが続いた二人は、2017年離婚に至ることとなりました。
やはり、山本拓さんは不満も持ちながらもずっと表には出さず、いつかゆっくり話し合いをしたいと考えているうちに、いよいよ限界を迎えてしまったということなのでしょうか。
長男は福井県の議員をしており、姉と妹の三人であると言われています。
姉と妹については、おそらく一般の職業であり、その詳細は出てきません。
高市早苗の母親の職業は元警察官?死因や経歴からそのプロフィールも確認!
さて、そんな高市早苗さんの母親についてですが、
名前:高市和子(たかいち かずこ)
生年月日:1932年頃
高市和子さんは、2018年にすでにお亡くなりなられており、享年86歳でした。
高市和子さんの職業は警察官でした。奈良県警に勤務されていたとのことです。
高市早苗さんは、自身が育った高市家について、ごく平凡な共働き夫婦であったと語っています。
また、高市和子さんの写真は公開されていないようです。
高市和子さんは、2015年に心停止状態となり病院に運ばれたことがあったそうです。
高市早苗さんはすぐに駆け付けましたが、入院先の病室に設置されていた心拍数や呼吸数の情報をナースステーションに送る「テレメータ」なる設備の電波状況が悪く、うまく通信ができないという状態であることにショックを受けました。
高市和子さんが運ばれたその病院は決して設備が劣っていたわけではなかったようで。
むしろ先進医療にも取り組んでいるような総合病院であったことから、全国の病院でも同じような状況が起こっている可能性が高いのではないかと考えたことがその理由です。
実際に高市早苗さんは、心拍数や呼吸数がうまく届かない電波状況の中で、心停止で生死の境をさまよう高市和子さんの様子を、朝まで見ていたそうです。
そのような電波状況のせいで、大切な家族の命が失われてしまったとしたら、もう悔やんでも悔やみきれません。
実際には明るみに出ていないだけで、通信障害などが原因で亡くなられた患者さんがいたのかもしれません。
ご両親を尊敬できる人と言い切ってしまえる人が、果たしてどのぐらいいるのでしょうか?親は子供に、ついつい自分の価値観を押し付けてしまいがちです。
そんな教育と呼べるのかわからないような行動により、多くの子供は悪影響を受け、社会に出てからいろいろと苦労をするものです。
高市早苗さんのように、尊敬できるといわれるような両親は、経済力などは関係なく、本当に立派な人間であるのだろうと思います。
高市早苗の父親の職業は?経歴やプロフィールなどもチェック!
一方で高市早苗さんの父親はどのような人物なのでしょうか?
名前:高市大休(たかいち だいきゅう)
生年月日:1934年頃
父親である高市大休さんは、2013年頃に亡くなられています。享年79歳でした。
職業は、一般メーカー企業のサラリーマンであったようです。
ご自身の退職金を、「選挙費用の足しとして全部使っていい。イライラせず、自信をもって!握手とお辞儀を忘れずに。気楽にやれ。」といったそうです。
高市早苗さんは、その選挙で見事当選を果たされています。
前述のように、高市早苗さんがご両親を尊敬できる人物とする理由がよくわかるエピソードですね。
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