1992年に起きた市川一家4人殺人事件。
この事件は未成年による強盗殺人事件です。
どんな事件だったのか見ていきましょう。
市川一家4人殺人事件の概要!現場の場所やいつ起きたのかも確認
事件はいつ起きた?時代背景なども確認
この事件は1992年(平成4年)に起きた事件当時未成年による強盗殺人事件です。
1992年といえば新幹線のぞみが開通、100歳超えの金さん銀さんブーム、長崎ハウステンボス開業、バルセロナ五輪で14歳の岩崎恭子が金メダル、歌手の尾崎豊さんが死亡、JR山手線が全線禁煙になった年でした。
そんな中事件は起きました。
事件現場はどこ?場所や住所も確認
事件の現場となったのは千葉県市川市幸2丁目にある被害者宅です。
市川一家4人殺人事件の概要!凶器やその犯行内容とは
1992年3月5日から3月6日朝にかけて千葉県市川市の被害者宅でおきた19歳青年による強盗殺人事件です。
事件まで
犯人の19歳の男Sはフィリピンパブの女性を家に連れ帰り監禁、暴行します。
この件について後日に店側は暴力団に依頼しSに落とし前として200万円を要求します。
Sには200万円を返す宛てもなく金を工面する為恐喝を繰り返していました。
そんな時たまたま自転車で通りかかった15歳の少女をむしゃくしゃしていたSはわざと車でぶつけてひき、病院に連れて行くと言って少女を車に乗せて病院に向かいます。
この少女はコンビニの行き帰りの途中でした。
15歳なら高校1年生、まだ子供です。
車にひかれたとなると自分で連絡できない状態であっても病院から両親に連絡することはなかったのでしょうか?
親が連絡を受けていたら飛んで病院に向かったのではないかと思うのですが、親が迎えに来てないところを見ると連絡を受けなかったのだと思われます。Sは親戚だとでも言って病院で診てもらったのでしょうか?
病院の帰りも家まで送ると少女を車に乗せます。
隙をついて少女は逃げ出しますが、家に帰ってか両親に知らない人に強姦されたなど打ち明けられなかったのでしょう。
翌日友人にこの件を話し促されて被害届を出しました。
Sもまだ19歳。年齢的に仕事ならいくらでもあるのだから、200万円のお金が必要なら働いて返す選択をして欲しかったです。
事件発生
3月5日Sは朝からパチンコなどをし、夕方現場となるマンションに向かいます。
そしてそこには被害者一家の祖母が寝ていました。今のうちにと現金を探すも見つからず、祖母を起こしお金のありかを聞き出しますが、祖母は持ち合わせていたお金だけを差し出して出ていくよう促します。
Sはいいから現金のありかを言えと口を割らせようとします。
家でうたた寝している時に知らない人物が家に入っていて、金を出せと言われた時は怖かったでしょうね。この状況を知って私もちょっとした外出(ゴミ出し、ポストの郵便物確認など)も必ず玄関に鍵をかけなければいけないと思いました。
【読了】
19歳 一家四人惨殺犯の告白
祝康成名義で発表された単行本を
永瀬隼介名義・第9章追加で文庫化
されたのが本書。市川一家四人殺人事件。
終章で死刑確定。
確定から執行まで更に16年を要した。4歳の妹が被害にあうページだけは、
今も読めない。 pic.twitter.com/54HVTfnlDk— ウナちゃんねる (@otis2222) February 4, 2022
その後家の中を物色している時に何も知らない母と長女が帰宅します。
想像して下さい。母親が目の前で殺され遺体を運ばされるんですよ。どうしてそんな酷い事ができるのでしょうか?
よく事件後犯人の精神鑑定の結果精神的病を患っていると判断される事がありますが、人殺しをする時点で精神的に普通じゃないに決まっているのでは?といつも思います。この状況を想像するだけで関も普通の精神状態じゃないのだと思います。
そこで父親の会社にも通帳があると知り欲が出た関は会社の金も何とか奪おうとします。
長女を残したまま父親も殺害。
父の会社に長女を行かせお金が必要になり通帳と印鑑を取りに来たというと従業員は心配と同時におかしいと思いました。
Sへの恐怖で正常な判断ができなくなっていたのでしょうか。
そしてこの時従業員は警察に一度目の通報をしますが特に動く事はなかったようです。
その後Sは長女をホテルに連れ込み強姦。
そしてSと長女が帰宅すると長女の妹が泣き出しSは包丁で背中を刺し殺害。この時泣き出した妹は当時4歳でした。
その後通報を受けていた警察が突入、Sを逮捕となり事件が発覚します。
駆け付けた警察官は被害者宅に入った時あまりの残虐さに呆然としたそうです。
事件が発覚した時には少女の家族4人が既に殺害されているので、時既に遅しですが従業員の方が2度通報してくれて発覚した訳ですから、通報がなかったらSは味をしめて次の被害者を出していたかもしれません。
市川一家4人殺人事件の犯人は誰?加害者の現在や事件の動機とは
一体こんな酷い事件を起こしたのはどこの誰なのでしょうか?
加害者について見ていきましょう。
犯人は誰?加害者の実名や顔とは
加害者であるSは関光彦です。
この関がどういう生い立ちだったのか見てみましょう。
関が小学4年生の時父親の借金、女性問題、暴力に耐えきれず母と弟と3人で夜逃げをし、その後両親は離婚となりますが、極貧生活となります。
当時洋服は1枚しか持っておらずランドセル替わりに風呂敷で登校していたそうです。
そして「世の中金だ」という考えを持つようになります。
極貧生活は仕方ないとしても、洋服1枚しかない、汚くて臭い、風呂敷で登校というのは本当なのでしょうか?
子供の成長過程でのいじめや環境がこうしてゆがんだ方向に人間形成されてしまう事があるのですね。
高校では野球の強く芸能人が多い堀越高等学校に入り野球部に所属しますが、ナイフを持ち歩き、タバコを吸い、とうとう高校2年の時に恐喝事件を起こし自主退学を促され退学する事となります。
退学し祖父の鰻店を手伝うも売上金を盗みそれがばれて祖父に問い詰められたところ祖父に激怒し暴力をふるい、祖父は片目を失明、その頃母や弟へも暴力をふるうようになり1人暮らしを始めます。
どこで彼は人の道を外れてしまったのでしょうか。普通に野球に打ち込む野球少年として学生生活を送れていれば事件は起きなかったのかもしれません。
犯人の動機は何だったのか?
この事件の犯人の関の動機はお金です。
始めは脅して200万円を取れれば良いと思ったのでしょうが、被害者の主人の会社にも取れるお金があると分かると欲が出てそのお金も脅し取ろうとします。
お金が目的ではありましたが、なぜか長女だけ最後まで殺さずに連れまわしています。
少しでも好意があったのでしょうか。
犯人に下された判決
第一審1992年2月、その2年後1994年8月死刑判決が下されました。
その後上告しましたが2001年12月に死刑確定となります。
当時関は、自分は未成年だから死刑になることは無いと刑を甘くみていたそうです。
そんな自分の犯した罪に対して甘く考えていた関は死刑確定した時はどう思ったのでしょうか?個人的には罪の重さを考えると関の死刑判決は妥当だと思います。
死刑確定した当時、未成年の死刑判決は日本史上2番目、1番目の未成年死刑判決から20年目だったそうです。
日本で2番目の未成年死刑判決とは当時は相当物議をかわした事でしょう。
犯人の現在は何してる?
犯人である関は今から5年前の2017年12月19日44歳の時東京拘置所で死刑が執行されました。
事件から25年、死刑判決から16年でした。
これまで事件を見て死刑執行まで知ると関の人生は何故こうなった?と思います。
彼の不満や非行などすべて父親に向けられていた行動なのでしょうか?
加害者家族のその後とは?
被害者家族が人生を狂わされたのは勿論、加害者家族も同様でした。
祖父も孫である関を可愛がっていたそうですが中学生位から手がつけられなくなったと言います。
母親は息子が犯罪者となってもやはり息子。週1回東京拘置所に出向いて面会し関の好きなものなど差し入れをしていたそうです。
加害者家族もある意味被害者ですね。
関は色々な人の人生を狂わせたことになります。私が気になるのは祖父や母親は子や孫への無償の愛があるのでしょうが、同じ環境で育った兄や父に対して弟はどう思ったのでしょうか。
同じ境遇でも弟は犯罪を犯してないのですから。
市川一家4人殺人事件の被害者は誰?長女の現在やその後とは
この事件の被害者にはかける言葉がないほど悲惨な事件です。
この事件の被害者について詳しく見ていきましょう。
被害者は誰?実名や顔とは
被害者一家は5人家族でした。
名前や顔などは公開されていません。
出ていても可哀そうで私は見られないかもしれません。
その他長女の妹(4)と父親の母(83)3世帯で穏やか暮らしをしていました。
あの事件がなければ今頃幸せな日々を暮らしていた事でしょう。
本当に無念でなりません。
被害者の遺族の現在やその後とは?
生き残った長女はしばらく両親の知人宅に住み、高校を卒業し大学へ進学。
家族の夢でもあった海外生活は環境を変えられるという意味でも、少しでも事件の事を思い出さない為にも良いのかもしれませんね。
長女の現在とは?
2004年大学卒業で22歳と考えると2022年の今は40歳になっていますね。
また事件後の取材で前に向かって生きて生きたいので事件の事は忘れたとも言っています。
確かに人を恨み続ける人生は辛いですよね。
一生心の傷を負う凄惨な事件を経験し家族で一人だけ生き残ってしまっても
前を向いて幸せに生きて行こうとするこの長女は精神的にも強いですね。
幸せに生きていって欲しいと心から願います。
事件後に世間で何か変化したことはある?
この事件以降から現在まで明らかに変わっている事は2つあります。
- 2009年5月21日より裁判員裁判制度により指名された民間人が刑事事件を裁判官と一緒に事件の判決を考える制度です。
- 2022年4月より少年法改正により18歳以上成人となり現在なら18~19歳は特定少年という扱いですが、基本的には大人と同じ扱いとなりました。
少年法改正前でも未成年犯罪者に死刑判決が下されている事件は数件あります。
本事件以降未成年者による死刑判決が下されている犯罪は数件あります。
勿論ですが未成年での死刑判決になる事件はよっぽどの酷い事件ばかりです。
制度が改正されても一定数未成年者による残虐な殺人事件というのは無くならないかもしれません。
どうしたら未成年者の重大犯罪が無くなるのかこの事件を通して考えさせられました。
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