警視庁長官狙撃事件とは全国の警察のトップである警視庁の長官が自宅マンションを出て何者かに狙撃された前代未聞の狙撃事件であり犯人が捕まっていない未解決事件です。
警視庁長官狙撃事件の概要!現場の場所やいつ起きたのかも確認
事件はいつ起きた?時代背景なども確認
事件は1995年(平成8年)に起きました。
今回取り上げる警察庁長官狙撃事件も含め1995年は大きな事件が次々と起きた年でした。
事件現場はどこ?場所や住所も確認
事件現場荒川区にある高級マンションアクロシティです。
住所:東京都荒川区南千住6丁目37番11 アクロシティEポート
警視庁長官狙撃事件の概要!犯行内容や事件の流れとは
警察のトップが狙撃された本事件ですが概要と流れを、要点をまとめつつ何があったのか詳しく見ていきます。
事件発生
1995年(平成8年)3月30日朝8時半頃当時の警視庁のトップK長官(57)は自宅マンションを出たところ待ち伏せていた何者かに狙撃され瀕死の重傷を負いました。
K長官にSPはつけておらず、狙撃した男と長官までの距離は約21ⅿもありました。
狙撃した人物から長官までの距離がおよそ21ⅿですが、ビルやマンションで言えば7階位の距離に相当します。
かなりの狙撃名手じゃなければピンポイントで撃つのは厳しい距離です。秘書官は長官が撃たれてすぐ覆いかぶさりましたが、秘書官をすり抜けてピンポイントで長官へ命中しています。犯人はいったい何者なのでしょうか?
銃弾命中
発砲した4発中3発がK長官の背中~腰部に銃弾を受け救急車で搬送されました。
大変重篤な状態で手術中3度も心臓が止まり、厳しい状態でしたが一命を取りとめ2ケ月後には仕事に復帰しました。
こんな海外映画のような事件が日本で起こるなんて信じられません。
先日の安倍元首相のように銃弾2発で即死する場合もあれば、K長官のように3発撃たれても2ケ月で仕事復帰する場合もあり、海外では銃弾が頭に入ったまま生活している人もいたり、銃弾は急所が外れているのかどうか、打ちどころによるのですね。
事件の10日前
この狙撃事件の10日前、あの地下鉄サリン事件がありました。
警察はオウム真理教に地下鉄サリン事件への嫌疑をかけオウム関連施設に一斉強制捜査を行いました。
事件直後
狙撃があって1時間後テレビ朝日にオウムの捜査を止めるよう脅迫電話がありました。
また、捜査を辞めないなら次のターゲットは井上警視総監や大森内閣情報調査室長だと苦大的に実名をあげて何者かが脅迫してきたのです。
拳銃について
弾丸から分かったことはかなり特殊な銃弾で、この銃弾を使う拳銃はアメリカ製のコルトパイソンという銃でニシキヘビを意味し、命中すればマッシュルーム状に傘が広がり、体の中をえぐるような動きで大量出血する事になります。
国際的にも人に対して使った例は少なく、戦争でも使用してはいけないと国際条約まであるかなり危険な拳銃だという事です。
目撃情報と現場に残っていたもの
現場には北朝鮮軍のバッジと韓国の10ウォン硬貨が見つかりました。
目撃情報から
・年齢30~40歳位
・身長170~180㎝位
・黒系のレインコート、白いマスクに黒系の帽子をかぶっていた
・自転車でJR南千住方面へ逃走する人がいた
ここまで流れを見ると事件前の地下鉄サリン事件から狙撃事件後の脅迫電話の内容までオウム真理教の関係者だと思ってしまいますが、結果オウム真理教関係者は捕まっていません。では犯人はどういう人物なのかこの後犯人像などについて見ていきます。
警視庁長官狙撃事件の真犯人は誰?事件の真相や中村とは何者なのか
前代未聞の事件であり犯人説は様々挙げられますが、結局犯人逮捕とならず現在に至ります。何故なのか解決しないのか犯人説はどんなものかについて触れていきましょう。
なぜ未解決なのか?その理由や原因とは
この事件は警察も事件直後オウム真理教関係者だと疑わず、オウム関連施設を強制捜査しました。
またオウム真理教幹部を数人逮捕していますが、皆証拠不十分で釈放となっています。
また、オウム真理教以外の可能性で様々な説も浮上しましたが、警察は犯人がオウム真理教であると一貫して信じ捜査は難航し未解決のまま現在に至ります。
犯人象や有力な説とは
この事件の犯人像はかなり様々な説があげられています。
その説を詳しく見ていきましょう。
オウム真理教関係者説
オウム真理教関係者説は警察も一番有力視していたものです。
その根拠は下記の通りです。
- オウム真理教幹部麻原が警視庁幹部への攻撃を示唆した発言をしており、その証拠音声テープも残っています。
- 事件前、長官のマンション周辺でオウム信者が警察を揶揄するビラを撒いていた。
- 事件翌日都内数回所に脅迫電話や銃弾について書かれたビラがオウム信者によりビラがまかれたが、その時はまだ報道されていない内容だった。
- 現場に落ちていた韓国硬貨から元オウム信者のミトコンドリアDNAが検出された
- 事件後にあった脅迫電話がオウム教団幹部と似ていた
この説の根拠を見てもオウム教団の仕業だと思いますが、あまりにも分かりやすくオウム教団だという証拠がありすぎて不自然とも考えられます。
これまでオウム真理教が起こした事件は逮捕されれば認める供述をしていますが、この事件については一貫して否定しているので、本件はオウム教団ではない何物かが起こしたのかもしれません。
強盗殺人未遂犯説
強盗や殺人未遂などで捕まっていた中村泰という男が拳銃事件を何度か起こしている事から警察が調べ数々の犯人と合致する点が判明していきました。
その根拠は下記の通りです
- 狙撃事件に使われた拳銃パイソンと銃弾のホローポイント弾を偽名で購入していた
- 犯行後乗り捨てた自転車場所に実際に放置自転車があった
- 武器などを隠していたアジトから韓国の10ウォン硬貨が発見された
- 犯行時所持していたカバンがアジトにあり銃弾の粉末がカバンについていた
- K長官がいつも乗っていた送迎用の車が事件直前違う車になった事を知っていた
(直前に下調べをしていた供述) - アジトにK長官を狙う為の資料が出てきた。
(最寄り駅から長官の自宅まで地図上に線を引くなど)
かなり有力な説だと思われます。
ここまで証拠品や自供があってもこの男は犯人とされていません。
この中村という男については後ほど詳細に見ていきます。
対オウム説
オウム真理教と敵対関係にあった創価学会がオウム真理教を犯人にし、堕とし入れようとした説です。
この説はいくら対立した団体がいても狙撃についての証拠や関わりが出てこないので可能性は低いと思われます。
警察利権の内部説
[刑事部と公安部]
狙撃されたK長官は刑事部出身、前任者J長官は公安部出身でした。
その後刑事部出身の今回狙撃されたK長官が就任し、公安部は主導権を戻そうとする利権争いがありました。
[公安部の報告遅延]
事件翌年1996年、当時オウム真理教信者だった警視庁巡査長である小杉敏行(31)は自分がK長官を撃ったと、犯行内容や拳銃を捨てた場所を供述しましたが、それを知った公安部は何故かその事を知りながら5ケ月間も上に報告しませんでした。
[世間に知れ渡る]
そのうち世間に「犯人は警察官」という文書が出回りマスコミが取り上げるようになりました。世間に知れ渡る頃には既に事件から1年半以上経ており、川に捨てたという銃も見つからず供述の信憑性が問われ、お咎めなしとなりました。この巡査長はオウム真理教に情報を横流ししたとして1996年11月懲戒免職となっています。
恐らく警察内部から犯人が出ては大問題だから何とかオウム教団が犯人に持っていきたかったのかもしれません。
いつも思うのですが自供した内容は警視庁の上にも報告していないハズが何故マスコミに漏れるのでしょうか。誰か絶対にリークしている人物がいるハズです。しかも今回の件は警察内での出来事が漏れているので警察官の誰かが外部に話したという事でしょうか。
[利権争いの結果]
刑事部が掴んだオウム以外の犯人説と公安部が信じたオウム教団説の対立により、刑事部が掴んだ有力な犯人説である中村という人物(詳細について次の章で触れます)の数々の自供と証拠は採用されませんでした。
オウム信者の巡査長の供述は矛盾点が多かったようですが、物証も確認できず矛盾した犯行内容は何の為の供述だったのでしょうか?
21ⅿ離れた場所から3発も銃弾が命中して「撃った気がする」はないですよね。
裏の組織と関わっていて本来の犯人をかばっているなんて事もあるのでしょうか?
中村泰とは誰で何者?
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中村泰は誰?
2002年事件から7年後、当時名古屋の現金輸送車を襲撃し逮捕・収監されていた中村泰という人物が銃使用の襲撃事件と関連して捜査線上に浮上しました。
そしてこの男は獄中から事件を追っている記者へ自分が真犯人だと手紙を書いたのです。
またK長官の狙撃事件で犯人しか知り得ない情報を持っていました。
中村はアメリカで射撃の軍事訓練を受けて銃の扱いに長けており、アメリカで入手した武器を日本へ密輸などをしていました。そしてこの人物はチェ・ゲバラに憧れ革命家を崇拝していたようです。
オウム真理教と狙撃事件
アメリカから帰国した中村はオウム真理教の存在を知り、危険なカルト集団だと認識していました。
そのうち松本サリン事件が起き、中村はやはりオウムの仕業だとより一層オウム真理教に対する危機を感じオウム襲撃を計画している中、地下鉄サリン事件が起きました。
今回の長官襲撃事件を実行し、長官を打った後自転車で逃走、犯行に使用した拳銃は海に捨てたと言います。
ここまで自供していても中村は逮捕に至っていません。
目撃情報と物証
目撃情報では犯人は年齢30~40代、身長170~180㎝とありますが、中村は60代、身長161㎝と合いません。当日シークレットブーツは履いてないと言っているそうです。
やはり犯人は別な人物なのでしょうか?
ただ、身長はある程度分かるとしても、帽子にマスク姿で年代が特定できるとしたら相当至近距離じゃないと分からないと思われますので、目撃情報が必ずしも正しいとは限りません。
警察はオウム真理教の犯行に間違いないとかなりの捜査を行っていたので、今更全然別な人物だったとは警察のメンツにかけて言えないのでは?とも言われています。
疑問
中村は公開されている目撃情報とも違うにも関わらず、何故獄中からわざわざ自供したのでしょうか?自供の意図が分かりません。中村が自供しなくても警察はオウムに容疑をかけていたので、危険なカルト集団を何とかするという中村の思いは果たせたハズです。
事件の真相や報道されない事実はある?最新情報や新たな事実
あまり大々的には報じられていませんが、狙撃事件のニュース速報を見たオウム教団の幹部は「上前をはねるようなのがいるのか」とこのニュースを知って驚いているのを信者が聞いています。
この発言はかなり他人事のような傍観者的な発言です。
このような事は大きく取り上げられず、オウム教団が犯人だと決めつけた報じられ方をしたので事件の詳細を知らない方は長官狙撃事件=オウム真理教と思っている方もいるかもしれません。
解決への糸口となるポイントとは?
ここまで事件の詳細を知って思うのですが、やはりオウム真理教ではなく中村泰である可能性が高いと思います。
そこまで警察の利権争いでオウム真理教が犯人でなければならなかったのでしょうか。
時効を迎えていますが犯人は中村という事で解決するのではないでしょうか。
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警視庁長官狙撃事件の被害者は誰?現在や事件のその後とは
日本を震撼させた世紀の大事件の被害者はいったい誰だったのでしょうか。
被害者について詳細を確認していきます。
被害者は誰?実名や顔とは
狙撃されたのは当時の第16代警視庁長官國松高次(くにまつたかじ)氏です。
兵庫県警本部長、警視庁刑事局長など経て警視庁長官となり、狙撃事件後1997年退官し、その後救われた命を社会貢献に生かそうとNPO法人救急ヘリネットワークの会長をされています。
瀕死の状態から生還し、誰よりも命の大切さを体感された事でしょう。
ご本人の描く人生を貫いて欲しいと思います。
現在や事件後はどうなった?
2010年時効を迎えた後も警察はオウム真理教によるテロと断定し警視庁のホームページでも公表しました。
国家賠償なのでなんと私達の税金でオウム真理教へ賠償金を支払う事になっていたとは他人事ではありません。
有力な犯人説があるにも関わらず、警察の利権争い(の説)の結果、犯人が捕まらず未解決で国の税金が使われ非常に残念な事件です。
この事件から偏向報道には世間がシビアになってきているのではないでしょうか。
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