狭山事件の真犯人は誰?その真相や父や長兄などが浮上する理由とは

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この事件は冤罪事件としても大きな問題でしたが、真犯人が不明なまま様々な疑問を残しました。映画やドラマ化、書籍も多く出版されています。

いったいどんな事件だったのか詳しく解説していきます。

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狭山事件の概要!現場の場所やいつ起きたのかも確認

狭山事件はいつ起きた?時代背景なども確認

事件は1963年(昭和38年)に起きました。

世間は鉄腕アトム放送開始、ケネディ大統領暗殺、プロレスラーの力動山が刺され死亡、新千円札発行(伊藤博文印刷)、日本初外資系ホテルヒルトンホテルが日本で開業したのもこの年でした。

そしてこの年狭山事件は起きました。

事件現場はどこ?場所や住所も確認

現場は埼玉県狭山市で少女が行方不明になった事から始まります。

少女は埼玉県狭山市大字入間川の畑付近で遺体となって発見されました。

狭山事件の概要!その犯行内容とは

この事件は冤罪事件として度々話題となり今も謎の多い事件として有名な事件です。

詳細を見ていきましょう。

事件概要

1963年(昭和38年)5月1日事件当時高校1年生だった少女が帰宅途中午後3時23分頃目撃されたのを最後に行方不明になりました。

この少女はいつも5時頃には帰宅していました。

5月1日は少女の誕生日でしたが家族で何かする予定はなかったそうです。

ですが少女は友人に「今日は誕生日だからもう帰るね」と言っているそうです。

そして家と逆方向に向かい誰かと待ち合わせしているような状況を見た人がいます。

午後6時を過ぎても少女が帰宅しないので家族は心配し、長男(25)が学校に行ったり周辺を探しましたが見つからず、家に戻り家族と心配しながら夕食を食べているとガラス戸に封筒が差し込まれている事に気づき中身を確認するとそれは脅迫状でした。

内容は少女の命が欲しければ指定場所に20万円、女性に持ってこさせろというものでした。

長男はそれを見た15分後警察に連絡し、40人の警官を配備し指定場所で張り込み、偽造札を用意し指定場所へ行くも5月2日には犯人は現れませんでした

日付が変わり5月3日午後0時過ぎ遂ついに犯人が現れ少女の姉は犯人と少し会話をしました。犯人は警察がいる事に気づき逃げ、警察は犯人を捕まえ損ねました。

少女の姉や張り込んでいた警察官は声の感じなどから現れた犯人の男を30歳前後と証言しています。

5月4日10時半頃狭山市大字入間川の畑周辺に埋められて無くなっている少女が発見されました。その場所で警察犬が一斉に吠えたそうです。

少女の遺体は目隠しされ手足が縛られ頭には玉石が乗せられた状態でした。

解剖により遺体は死後2~3日経過、死因は首を絞められた事による窒息死でした。

死亡推定時刻5月1日午後4時20分とされたので、行方不明になった5月1日の最後目撃情報が3時20分頃なので行方不明になって1時間後には殺害された事になります。

犯人逮捕

その後程なくして被差別部落の青年I(24)が逮捕されましまた。

被差別部落とは・・・江戸時代からあった身分制度で平民以下として扱われた人達の事です。

仕事は固定で人がやりたがらない不浄な仕事をさせられ、部落の人達を特定の地域に住ませ、出身地を聞けば部落だとすぐ分かる状況で差別的な扱いをしました。

部落出身と分かると結婚や就職も断られるなど生活する上で様々な差別を受け、明治時代撤廃されましたが今も解決していない根深い人権問題です。

この狭山事件の2ケ月前1963年3月由展ちゃん事件で警察は犯人を取り逃がしてしまい、今回の狭山事件でも犯人を取り逃がした為警察は世間からバッシングを受けました。

狭山事件で遺体が出てから4日目には警察庁長官が引責辞任しています。

警察長長官が辞任するとは殆ど聞かない話ですがこの時は相当なものだったのでしょう。

聞き取り調査により周辺の養豚所からスコップがなくなったという話があり養豚所関係者が犯人だと捜査が進められました。

その後遺体発見現場近くでスコップが見つかりそのスコップに付着している土を調べると遺体を埋めた土と同じだと判定され更に付着していた油から養豚場のものだと判定されました。

そこで容疑者として浮上した青年Iが逮捕されました。脅迫状の筆跡と青年Iの筆跡は一致と鑑定結果も出ました。

この青年は1963年2月28日まで養豚場勤務しており(事件当時は別な仕事に付いていた)短気で酒癖が悪く、盗みやギャンブル癖、人とのトラブルなど色々問題のある青年で容疑者としては怪しい人物ではありました。

確かに青年I の素行は良くなかったようですね。何度か過去に警察に逮捕歴もあるようです。ですが事件の犯人としてはどうなのでしょうか?

犯人について詳細を見ていきましょう。

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狭山事件の犯人は誰?冤罪説や真犯人は誰なのか

容疑者として逮捕された青年Iは石川一雄です。

裁判で死刑判決を言い渡されます。

そして事件は大きな問題と発展していきます。

なぜ冤罪といわれている?その理由や原因とは

なぜこの事件は冤罪といわれているのか、まずはその判決から現在までの流れを確認してみましょう。

判決までの裁判の簡単な経緯

  • 1963年9月4日から始まった裁判で犯行を認める
  • 1964年3月11日浦和地裁により青年Iに死刑判決
  • 1964年3月12日青年Iは控訴
  • 1964年9月10日控訴審で無罪主張
  • 1964年10月31日弁護団の主張により無期懲役となる
  • 1977年9月8日千葉刑務所へ収監

一審で殺害を認めたのは警察に石川さんの兄が犯人として疑わしい事を聞かされ、一家の稼ぎ頭である兄が犯人だったら大変だと思い、自身が犠牲となりました。

警察には素直に罪を認めれば「10年で出られる男同士の約束だ」と言われたそうです。

そして石川さんは自白しましたが死刑判決まで出てしまい、騙された事に気づき警察に脅しや虚偽の自白を強要されたのであり自分は犯人ではないと供述を変えたのです。

また警察は養豚所勤務経験で現場近くに住み素行の悪い部落出身の石川さんは犯人にしやすかったのでしょう。しかし冤罪であると世間で大きな問題となりました。

証拠品の疑惑

供述により証拠品が発見されていますがすべて疑惑だらけです。

【万年筆】

被害者の少女の万年筆が石川一雄さん宅から見つかっていますが、警察が初めの家宅捜索の際26人での大規模捜査で出てこなかったのに、石川さんの(強要され)供述後の家宅捜索では誰もがすぐ目をやれば分かりそうな、鴨井(かもい)の上から見つかっています。

ですが鴨井(かもい)の上から見つかった万年筆は未使用であり被害少女のノートに書いてあったものとはインクも別なものでした。

【かばん】

被害少女のかばんを捨てた場所として石川さんが供述した(させられた)場所から少女のかばんが出てきたのですが被害者の父親によると娘のものではないとのこと。

石川さんの供述も警察から指示されて書いたものだと後に判明しました。

【腕時計】

被害少女のつけていた腕時計が供述により発見されたと証拠品扱いされていますが少女の時計とはメーカーは同じでもモデルの違うものでした。

【筆跡鑑定】

石川さんが書いた文字と脅迫状の文字が同じと筆跡鑑定の結果が出たのですが、石川さんは小学校に5年生までしか行っておらず文字の読み書きが殆どできませんでした。

後の再鑑定で石川さんとは別人の文字と判定されています。刑務所の中で読み書きを勉強したそうです。

ここまで見て分かる通り素人が見てもおかしいとすぐに分かる内容です。自供や証拠証があるからと逮捕と裁判判決が出ていますが、どれを見ても無理があります。警察の裏の力そして裁判所もグルだったのですね。

その後青年は異例の仮出獄(仮出所)をします。1994年12月21日仮出獄しました。31年ぶりの外の世界でした。

仮出獄は通常は更生する可能性がある者に与えられる機会ですが、今回の場合そうではなく部落団体や冤罪支援の運動による圧力だろうと言われています。

しかし冤罪で31年は長すぎます。

真犯人として父親や長兄が浮上する理由とは

実は真犯人は被害少女の父親や兄ではないかという説が飛び交っています。

それは一つにこの事件に関係する人物が次々と亡くなっている事が関係しています。

関係者の不審死

周りで起きていた謎の不審死についてまとめてみました。

1人目の死:被害者宅の住み込みで働いていた事のある男性(31)

被害者家族とは親しく、脅迫状の筆跡と似た文字を書く人物でした。

少女が遺体として見つかった5月6日農薬を飲んで井戸に飛び込み自殺しました。自殺した翌日この男性は結婚式を控えており新居も建てたばかりでした。

家を建て結婚式前日幸せのまっただ中の自殺とは不可解ですね。

2人目の死:不審者目撃情報提供者(31)

この男性は石川さんが逮捕された後すぐに、3人の不審者を目撃したと警察へ情報提供した人物でした。

刃物で自分の胸を刺して自殺しました。自殺の中でも自分で自分の胸を刺すなんてよっぽどの事がないとできないことです。

この事件の石川さんではない不審人物目撃を通報した事と関係あるのでしょうか?

3人目の死:被害少女の姉(24)

この姉は脅迫のお金の受け渡しに出向いた女性です。石川さんの死刑判決を知ってから相当ショックを受けていたそうです。

事件翌年7月そして農薬を飲んで自殺しました。

妹を殺害した犯人(だとすると)に死刑判決が出てショックとは違和感がありますね。

石川さんが犯人ではない事を知っていて、石川さんに死刑判決が出た事で精神的ショックをうけたと憶測をされています。

4人目の死:スコップが盗まれた養豚所経営者の兄

スコップが盗まれた養豚所であり、石川さんが勤務していた事もある養豚所は弟が経営者で自殺した兄はここに勤務していました。

事件から3年後の10月24日西武新宿線入曽駅近くの線路上で電車にひかれて死亡しました。警察は自殺と決定づけました。

自殺に至る経緯があまり出ていないので憶測ですがこの人物も事件に関係して何か知ってしまい消されたのでしょうか?自殺するしかない何があったのでしょうか?

5人目の死:被害少女の次男

被害少女の次男は中華料理店の経営がうまくいかずその事を苦に首吊り自殺したとされています。ただこの自殺も不審な死と噂されています。

関係者の死の中で一番動機が不自然ではないように思います。

しかし妹が殺害、姉が自殺、この次男も自殺とこの家族は短期間で亡くなり方も疑問が多く残ります。

6人目の死:事件を調べていたジャーナリストの男性(36)

事件を再調査していたジャーナリストが東京都豊島区の路上で見知らぬ者に暴行を受け、頭蓋骨陥没や肋骨骨折により2日後死亡しました。

事件の再調査で知られては困る事を知ったから、もしくは調べ治すなという事だったのでしょうか・

ご覧の通りこの事件の何かを知ったのか、知ろうとするからなのか次々と亡くなっています。ただの自殺とは思えないですね。

兄が犯人説の理由

  1. 長女が自殺した遺書に「常識では考えられないことが書いてあった」と長男が言っていますが内容まで公表されていません。兄が犯人とでも書いてあったのでしょうか?
  2. 脅迫状に「警察に話したら子供を殺す」と書かれていたにも関わらず脅迫状発見から15分後に警察に通報していること。
  3. 少女が行方不明になり長男が探しに出る際少女の自転車は無かったのですが、長男が帰宅してから通報するまで少女の自転車は家の敷地にあったそうです。
    その場所は夕食を食べている場所から見える位置にあり、不審者が置くのは難しい場所でした。家族が置いたのでは?実は長男が置いたのでは?と疑惑を持たれています。
  4. 脅迫状の中に金の受け渡しは女性を指定していますが、女性にしないと自分が受け渡し場所に行く事になるので敢えて女性を指定したのでは?という説があります。
    これらの事が父や兄が犯人ではないかという説が浮上している理由です。

真犯人は誰?他の可能性などはある?

真犯人は結局捕まっていないので憶測にすぎませんが、色々ある説の中で外部の人物の説があるのかと考えます。

被害者一家に恨みのある人物が元使用人や養豚所を巻き込んでこの一家を壊してやろうというものです。

兄の犯人説が飛び交っていますが、遺体を埋める時間など無理がある事もあり長男以外の人物だと私は考えます。

解決への糸口となるポイントとは?

被害者の少女の胃から解剖によりの朝や昼には食べていないはずのトマトが確認されています。という事はどこかでトマトを口にしているハズなのです。

行方不明になった5月1日は少女の誕生日で少女はこの日誰かと待ち合わせしていたようだという証言があります。

この日少女は友人に「今日は誕生日だから早く帰る」と言って学校を出ましたが家とは弱方向に向かい誰かと待ち合わせをしているような姿を目撃されています。

思春期の少女が誕生日に待ち合わせとは彼氏のような男性がいたのでしょうか?

下校途中待ち合わせをして誕生日にトマトを一緒にでも食べたのでしょうか?

待ち合わせしていたとしたらその人物がポイントとなりますが、そんな事は警察がとっくに調べているハズですよね。

その人物も既に亡くなっていたら事件は更に迷宮入りですが。

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狭山事件の被害者は誰?現在の遺族やその後とは

狭山事件の被害者は誰?現在の遺族やその後とは

被害者少女は1947年5月1日生まれ中田家の四女中田善枝さん(当時16)です。

行方不明となった日は彼女の誕生日でした。

中田家は父、母、長男、次男、姉、善枝さん、妹でしたが妹は幼くして亡くなっています。

被害者の遺族の現在やその後とは?

善枝さんが生きていれば2022年現在75歳、長男は84歳になっていますね。

父親は1990年に亡くなっています。

兄の現在の詳細は出てきませんがご存命だそうです。

ひっそりと生活されているのでしょう。

狭山事件によりその後変わったことは?

狭山事件以降で現在と変わったことはテレビの報道がすべて本当だと思わなくなったという事でしょうか。

狭山事件でテレビは警察と同じく石川さんが犯人であると決めつけるような報道が連日されていました。当時はテレビの報道する情報に多くの人々が信じてしまっていたことがあります。

しかしインターネットの普及により報道さている事はすべて本当なのか?と現在は報道の在り方も問題視されるようになりました。

逆に情報であふれる現在、何が本当で何が嘘なのかの見極める力が必要ですね。

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