名張毒ぶどう酒事件の真相を調査!真犯人や現在の状況は?会長の疑惑や夜這いなど全てを徹底調査!

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皆様は名張毒ぶどう酒事件をご存じでしょうか?

「もう解決した事件なんじゃないの?」と思われている方もいらっしゃると思いますが、この事件は現在も完全に解決したわけではありません。

今回は、この事件について徹底的に調査しました。いつ起きたか、現場となった場所、犯人は?夜這い?最新情報とともに、まずは振り返っていきます!

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名張毒ぶどう酒事件の概要!現場の場所やいつ起きたのかも確認

名張毒ぶどう酒事件はいつ起きた?時代背景なども確認

事件が起きたのは昭和36年(1961年)3月28日の夜です。今から約60年も前の事件ですね。ここまで昔の事件が今も未解決になっているのは複雑な理由が多くありますが、その辺りは後ほど。

当時の日本は、戦後の復興を遂げ、高度経済成長への波に乗っている岩戸景気と呼ばれた好景気の時代です。

この頃の日本の出来事といえば、女子バレーボールの日本代表チームが「東洋の魔女」と呼ばれ始めたころです。今でもニュースで聞くことがある名前ですね。

その異名通りに非常に強く、後の1964年開催の東京オリンピックではソビエト連邦のチームを破り、初の金メダルを獲得しています。

また、世界的な出来事で言えば、暗殺事件で有名なジョン・F・ケネディ氏がアメリカの大統領に就任した年です。

これらの出来事を聞くと印象深い年度だったと言えるのではないのでしょうか。このため、名張毒ぶどう酒事件は、日本も発展途上で動きの激しい時代に起きた事件です。

事件現場はどこ?場所や住所から夜這いの背景も確認

現場は三重県名張市葛尾地区で一軒家に近い公民館となっています。(現在この公民館は取り壊し済み)この頃の葛尾地区は人口100人程の非常に小さな集落だったようで、のどかな田舎だったと思われます。

しかし、調べてみると当時の葛尾地区は驚く風習が残っていたようで、それが「夜這い」です。

夜這いのイメージは、男性が女性の家にいきなり入るイメージで良いものではないですが、当時の夜這いは恋仲同士の男女で行われるケースが多く、さらに女性側の了承が前提だったようです。

それでは堂々と家に行けば良いのでは?と思われるかもしれませんが、やはり女性側の親は娘の彼氏が夜に遊びに来ることを快く思いませんよね。そのため、親にバレないようコッソリと女性の家に入ることが当時の夜這いです。

現代のようにスマホはなく連絡手段も限られている中、当時はこうやって男女の仲を深めていたのではないでしょうか。こう聞くと最初のイメージとは違い、ちょっと純愛な行動にも思えますね。笑

ちなみに夜這いは、名張市だけでなく当時の地方村では存在した風習ですが、現在は残っていません。

なくなった理由ですが、一説では経済の成長とともに、照明や夜道に街灯が設置されたため、コッソリ家に忍び込むのが困難になったためと言われています。

そのため、当時の男性は電気を恨んだとか何とか…。

名張毒ぶどう酒事件の概要!凶器やその犯行内容とは

事件は名張市葛尾地区の公民館で起きています。当時ここでは年に1回行われている「三奈の会」という会合が開かれていました。

これは葛尾地区の住民同士の親睦を兼ねた寄合の呼び名だったそうです。

出席者は32名(男性:12名、女性:20名)と大勢の方が参加しており、午後8時頃から親睦会を兼ねた宴会が開催されました。

この宴会に男性には清酒(日本酒)、女性にはぶどう酒(ワイン)が振舞われ、新会長である奥西楢雄氏による乾杯の音頭でスタートしました。

日本酒もぶどうも名張市の名産品であり、この会でもこれらが当然のように振舞われました。

宴会が始まり10分ほど経過したころ、突然、奥西楢雄氏の妻であるフミ子氏が苦しみ始め倒れてしまいました。

時間が経過していくにつれ、フミ子氏だけではなく参加していた女性だけが次から次へと苦しみ始めました。

大きなうめき声をあげる方や、血を吐いてしまう方など悲惨な状況だったようです。

一方、清酒を飲んでいた男性には症状が全く出ず、ぶどう酒を飲まなかった3名の女性も同様、症状は出ませんでした。

つまり、ぶどう酒を飲んだ女性のみが被害に逢ったということです。

この結果、ぶどう酒を飲んだ17名の女性に上述の中毒症状が出てしまい、その内5名の方が亡くなってしまう最悪の結果となってしまいました。

事件の判明後、警察の捜査により、ぶどう酒の中に毒物である農薬(ニッカリンT)が混入していたことが判明し、これが凶器となっています。

また、この事件は毒物による大量虐殺であることから、「第二の帝銀事件」という通称があります。

帝銀事件とは1942年に帝国銀行(のちの三井銀行)で起きた事件であり、この事件も毒物が凶器となっています。12名もの方を毒殺し、現金と小切手を奪い逃走した強盗殺人事件です。

どちらの事件も被害者数が多く、非常に痛ましい事件です。

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名張毒ぶどう酒事件の犯人は誰?加害者の現在や事件の動機とは

犯人は誰?加害者の実名や顔とは

捜査の結果、重要参考人として「三奈の会」会員の男性(事件から6日経った4月3日)に犯人として逮捕されている人がいます。その方が奥西勝氏(当時:35歳)です。

この方は「三奈の会」会員の男性で重要参考人として聴取されていた3名のうちの一人です。顔写真はネットで調べてみるとすぐに出てくるほどであり、冒頭の画像が奥西勝氏の顔写真です。

長身で美男子であると有名だったそうで、とても整った顔立ちをしている方ですね。

奥西勝氏は事件の起きた名張市葛尾地区の生まれで、高等小学校(現在の中学校)を卒業したのちに、参宮急行鉄道という私鉄会社に就職しています。

その際に、近鉄名張駅で働いていたチエ子さんという方と出会い、結婚、2人の子宝にも恵まれています。

一見、幸せな生活をしている奥西勝氏ですが、逮捕されたのはなぜでしょうか?

犯人の動機は何だったのか?

犯人と言われている奥西勝氏の動機ですが、調べたところによると「男女三角関係の清算」ということがわかりました。

この事件では12名の女性が被害に逢い、うち5名の女性が死亡していると書きましたが、なんと死亡した女性の中に、妻であるチエ子さん、愛人であった北浦ヤス子さんが含まれていたのです。

当時の奥西勝氏は愛人であるヤス子さんがいることが妻のチエ子さんにバレており、次第にチエ子さんも家事を放棄するなど、喧嘩の絶えない夫婦だったようです。

当然、夫婦仲が良いとは言えない状況ですね。同時に、愛人のヤス子さんとの関係も悪かったようで、奥西勝氏はヤス子さんから別れを切り出されていたそうです。

妻とは不仲、愛人からは別れを切り出されているという状況を清算しようとして、今回の事件を起こしたと警察は考え、奥西勝氏は逮捕されました。

普通であれば、「妻と愛人を殺害する人が犯人なわけがない!」と思いますが、このような特殊なケースだとあり得るのかもしれません。

 また、警察が逮捕に決めた証拠もいくつかあります。

  1. 事件前に奥西勝氏が10分間1人でいたこと
  2. ぶどう酒の王冠に奥西勝氏の歯形がついていたこと
  3. 毒物である農薬を所持していたこと

など決定的な証拠が捜査の結果わかっています。さらに、取り調べ直後は犯行を否認していましたが、その後農薬をぶどう酒に混入したと自白したことで逮捕に繋がっています。これで事件は解決と思いきや、そうはなりませんでした…。

犯人に下された判決

4月3日の取り調べで自白したことで逮捕された奥西勝氏ですが、逮捕直後の取り調べではなんと犯行否認へと転じています。

以降は一貫して無実を訴える立場になります。一気に状況が変わった事件ですが、月日が経ち1964年12月23日、津地方裁判所で行われた第一審では、検察側の死刑求刑を退け、無罪判決が奥西勝氏に下されました。

これに対し、検察側は控訴し、1969年9月10日、名古屋高等裁判所で控訴審が行われています。

その結果、第一審判決は破棄され、裁判所は逆転死刑判決を宣告しています。そして、奥西勝氏は名古屋拘置所に収監されています。

弁護側はこの判決を不服として、最高裁判所に上告しますが、1972年6月15日、最高裁判所は上告を棄却しており、死刑が確定判決となっています。

この展開にはビックリしてしまいますよね。さらに、この事件は再審請求がされていますが、なんとそれは2022年の現在も続いているのです。

犯人の現在はどうなった?その後の再審請求とは

奥西勝氏の現在を書く前に、先に再審請求について調べてみました。無罪を主張している弁護側は当然判決を不服として、確定判決に対して再審請求をしています。

しかし、1974年に裁判所は証拠不十分などの理由でこれを棄却しています。棄却されても被告人側は再審請求を出しますが、1975年、1976年、1977年、1988年と全て棄却されています。

5回続けての棄却を受けてしまうと、弁護側は相当滅入ってしまいそうですよね。

その後も被告人側は諦めずに再審請求を出し続け、1980年9月には請求審で初の現場検証が行われたり、1986年6月には請求審で初の証人尋問が行われたり進み続けますが、1988年12月、名古屋高裁が再審請求を棄却しています。その後も異議申立てや弁護団からの特別抗告も棄却され続け、1997年に第5次再審請求が棄却、1998年10月に第6次再審請求が棄却と続いています。

2005年4月5日には再審開始が決定されるなど希望が見える時もありましたが、結局2006年には再審開始決定を取り消すなど弁護側には苦しい状況が続きます。

その後も再審開始決定→取り消しが続いてしまう中、2013年には第7次再審請求、2015年には第8次再審請求が棄却されています。

それでも諦めていない弁護側の強い執念が見られますね。しかし、被告人、及び遺族に対してはあまりにも時間が経過しすぎていました。

まず、1988年ですが、この年に奥西勝氏の母親が死去しています。

母親は息子の無罪を信じ続け、励ましの手紙を獄中の奥西勝氏へ送り続けていたようです。

続いて、2010年には「父親が無実を勝ち取ったら一緒に暮らしたい。」と言っていた奥西勝氏の長男が癌で亡くなっています。

さらに、2012年より肺炎を患い寝たきりの状態になっていた被告人である奥西勝氏も2015年10月4日に八王子医療刑務所で亡くなっています

時間とは無情なものだと考えてしまいます。この後も奥西勝氏の妹(岡美代子さん 現在92歳)が引き継ぎ再審請求を申し立て続けていますが、2017年には第10次再審請求が棄却されています。

名張毒ぶどう酒事件の真犯人は誰?会長説とはなぜ浮上したのか

自白して逮捕直後に一転して容疑を否認している奥西勝氏ですが、この事件は冤罪の可能性が高いと言われています。

この事件では、奥西勝氏が「事件前の10分間、現場の公民館に一人でいた」と言われており、この時間にしかぶどう酒に毒を入れられなかったと考えられています。

これが決定的な証拠の一つとされていますが、そもそもこの証言自体の信ぴょう性が低いのです。

事件当初は「奥西勝以外にも農薬を混入する機会はあった」と証言する関係者も多くいましたが、その後「農薬を混入できたのは奥西勝しかいない」と全員が証言を変えているからです。

こう見ると、全員が口を合わせているだけではと考えてしまいますよね?また、捜査で出てきた他の証拠からも農薬を混入した場所の特定は難しいことから、奥西勝氏以外の犯行を否定する材料もありません。

さらに、この事件で奥西勝氏が自白して逮捕された直後、周囲の住民は奥西勝氏の家族をサポートしようとする動きがありましたが、奥西勝氏が容疑を否認し始めた途端、住民たちは村ぐるみで家族への迫害や差別を始めたそうです。

この結果、奥西勝氏の家族は葛尾から引っ越さざるを得なかったそうです。家族には何の罪もないのに、何とも胸が痛くなる話ですね。

また、奥西勝氏の動機が「男女三角関係の清算」のため妻と愛人を殺害したとのことですが、

この清算ができたのはもう一人存在したのです。それが「三奈の会」新会長である奥西楢雄氏です。

この奥西楢雄氏にも愛人がいたそうで、その人物はなんと奥西勝氏の愛人でもあった、北浦ヤス子さんです。

加えて、この事件で亡くなった女性には、奥西楢雄氏の妻であるフミ子さんも含まれており、奥西楢雄氏もまた、妻と愛人の二人が事件で亡くなっているのです。

奥西楢雄氏とフミ子さんの夫婦仲もあまり良くなかったらしく、愛人である北浦ヤス子さんからは、奥西勝氏に別れを切り出したあと、結婚を迫られていたようです。

このことから、三角関係を清算したかったのは、奥西勝氏だけではなかったのです。

さらに奥西楢雄氏は「三奈の会」の会長になる立場、いわば村の権力者です。

そのため、警察からの事情聴取の際に、住民たちに奥西勝氏の犯行になるよう口裏合わせを強要したのではないかと考えられています。

これらが会長説と言われている理由です。それにしても、どちらも妻と愛人がいて状況が似ているのが何とも奇妙ですね。

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名張毒ぶどう酒事件の被害者は誰?現在の遺族やその後とは

被害者は誰?実名や顔とは

この事件では、ぶどう酒を飲んだ12名の方が全員中毒症状に陥っています。その内死亡した方5名の名前は以下の通りです。

  • 奥西楢雄氏の妻である奥西フミ子さん(30歳)
  • 奥西勝氏の妻、奥西チエ子さん(34歳)
  • 両者と愛人関係にあった北浦ヤス子さん(36歳)
  • 「三奈の会」前会長である新矢好さん(25歳)
  • 中島登代子さん(36歳)

調べたところ全員の顔写真などは見つかりませんでしたが、20~30代と若い女性ばかりが亡くなっています。

被害者の遺族の現在やその後とは?

被害者の遺族の方の名前や顔などは判明しませんでしたが、被害者の遺族の中には、この事件の再審請求を支持している方も多くいるようです。

本当に奥西勝氏が犯人なのか、はたまた冤罪だったのか、なぜ自分の家族は亡くなってしまったのか真実を明らかにして欲しいという気持ちが強いようです。

名張毒ぶどう酒事件によりその後変わったことは?

先ほども書きましたが、この事件は、冤罪の可能性が非常に高いと今では言われています。

現在も再審請求が要求されていることから、冤罪というケースが世に広く周知された事件でもあります。

冤罪はその人や周囲の人の人生を大きく狂わせてしまいます。そのため、絶対に起きてはなりません!

今もなお、岡久美子さんと支援団体は再審請求を要求し続けていますが、高齢なため時間も余裕はありません。筆者も一個人として一刻も早く真実が明らかになるよう、願っています。

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