小田原一家5人殺害事件の犯人の名前や現在とは?動機やその後に迫る

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小田原一家5人殺害事件は当時未成年だった少年の逆恨みによる一家6人中5人を殺害した大量殺人事件です。

戦後間もないこの時代になぜこんな事件が起こってしまったのか詳しく見ていきましょう。

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小田原一家5人殺害事件の概要!現場の場所やいつ起きたのかも確認

事件はいつ起きた?時代背景なども確認

この事件は1949年9月14日神奈川県小田原市で起きた当時18歳の未成年の少年による大量殺人事件です。

1949年(昭和24年)といえば、中華人民共和国が成立、お年玉年賀はがきの発売が開始、初の成人の日や初のこどもの日が始まった年、穴の開いた5円玉がスタートした年です。

穴のあいた5円玉は今では普通ですが、それ以前は穴が開いていなかったようです。

事件は1945年の第二次世界大戦(太平洋戦争)終戦の4年後で、日本は様々なものが始まった年でしたがそんな中、事件は起きました。

事件現場はどこ?場所や住所も確認

事件現場は神奈川県小田原市井細田にある地被害者Aさん宅です。

この被害者Aさんは銭湯を営んでおり、被害者A(45)さんと加害者少年B(18)は隣人同士でした。

小田原一家5人殺害事件の概要!凶器やその犯行内容とは

事件の概要を見ていきましょう。

事件が起こるまで

被害者Aさんは銭湯「田浦湯」を経営されていました。

この銭湯と加害者少年Bが隣同士で、少年Bは家から女湯をよくのぞき見していたそうです。

被害者であるAさんは少年Bがのぞき見する事を注意しましたが改善されなかった為、銭湯と少年B宅の間にある薪置き場の屋根の上に女湯がのぞけないように目隠し対策をしました。

そのことで少年Bはひどく逆恨みします。

Aさんがたまたま気づいたのか女湯の利用客からのクレームだったのか分かりませんが、

家からのぞき見ている事が外部に分かる状態とは、少年Bはあからさまなのぞき方をしていたのかもしれませんね。

Aさんを逆恨みした少年Bは、Aさん殺害を計画し刃渡り22センチの肉切り包丁を用意し、この包丁を研いで殺害の準備をしていました。

事件当日の詳細とは

事件当日Aさん家族が寝静まった深夜1時頃、少年Bは準備していた包丁を持参しAさん宅1階から侵入し、薪置場にあった薪を割るための鉈(ナタ)も持ち、寝ていたAさん家族を次々殺害していきました。

  • Aさん(45)・妻C(42)・妻の母D(80)・・・鉈(ナタ)で殴り殺害
  • ACの次女E(8)・長男F(3)・・・電気コードを首に巻き肉切り包丁で刺し殺害
  • 長女G(18)・・・頭を鉈で殴られ重症

一家6人中長女Gはかろうじて一命を取りとめましたが、Aさん含めた5人は即死でした。

こんな惨劇が現実に起きているなんて恐ろしすぎます。

ここまでの事をしておいて少年Bはその後すぐ自宅に帰り、同居中の寝ていた叔父を起こして犯行を打ち明け(少年Bの両親は亡くなっている)、その日の朝9時過ぎには叔父に連れられ警察に出頭し自首します。

逃げる事無くすぐ叔父に犯行を打ち明け出頭している様子から犯行後の事など考えず、のぞき見できなくなった恨みををただスッキリさせたいだけの浅はかな行動だったのでしょう。

寝ていた叔父さんは夜中に急に起こされ犯行を聞かされた時は、お隣さん同士付き合いもあったでしょう、それはショックだったと思います。

この叔父さんもある意味被害者です。

事件後からの様子

その後の裁判で少年Bに死刑判決が下されますが、恩赦(おんしゃ)により減刑され無期懲役となります。

恩赦とは・・・有罪判決を受けた者が裁判所の判断に関係なく有罪判決の効力を全て、又は一部消滅させることです。

要は有罪となった判決を無しにしたり減刑したりするものです。

日本だけの制度ではなく海外(フランス・アメリカ・ロシア・ドイツ・イギリス・韓国・ベルギー・オーストラリア)にもあります。

日本では天皇の祝い事などの際に恩赦がありますが、という事は真子さんと小室さんのご結婚での恩赦は?と思いましたが発表されてないところを見るとなかったようですね。

その後宮城刑務所に収監されましたが、まじめに取り組んでいた為1970年(昭和45年)仮出所となり、サポートして下さる方々にも恵まれて39歳になったBは東京都内で印刷業に就き再出発の道がスタートします。

亡くなった方々には何の選択肢が無いのに、5人も惨殺した加害者が人生を再スタートできるんですね。とても複雑な気持ちです。

悲劇再び

そして1984年(昭和59年)横浜でアパート暮らしをしていたBですが、このアパートは家出少女などのたまり場となっていた所で、そこで出会った13歳の少女Hと同棲を始めますがBはこの時既に53歳です。

この13歳の少女Hは同居を始めて2ケ月でBが嫌になったのか別れ話をしましたが、Bは強く拒否します。

そして少女Hは突然家を出てしまいましたがBは少女を追いかけました。

少女Hの居場所を突き止めたBは少女Hに戻ってもらうよう説得しますが「歳が違い過ぎる、もう別れる」と言われ断わられます。

その際少女の友人達からBに帰るように詰め寄られ、これに逆上したBは殺意を抱き刃渡り10センチのナイフを購入、杉並区永福の路上で少女Hとその友人をメッタ刺しにしました。

そしてその翌日自宅付近にいたBは逮捕され懲役8年の刑となり仮釈放も取り消し、無期懲役+懲役8年で再び宮城刑務所に戻ります。

13歳の家出少女も53歳の男とよく同棲できましたね。自分が13歳の頃を考えると5歳年上でも歳の離れた大人という感覚でしたけど。

昔は結婚年齢が早かったので少女Hの親どころかおじいさんとBの年齢が近い可能性がありますよね。

少年Bの事件のまとめ

とはいえ悪いのは圧倒的にBです。男女のもつれからの事件はよくありますが、過去の5人殺害事件からの今回の事件。頭に血が上ると見境いつかなくなるタイプですね。

ここでBの罪の大きさに反し恵まれていると思う部分があったのでまとめてみました

  • 当時の日本で死刑囚の恩赦を受けられた12人の1人に選ばれた
  • 両親は亡くなっても叔父さんが弟と一緒に引き取ってくれた
  • 仮解釈放で支えてサポートしてくれる人達に恵まれた
  • 53歳の前科者でも同棲できた少女がいた
  • 後の裁判で死刑判決が出た後控訴するよう裁判官が異例のアドバイスをくれた

こんなにまわりの人達に恵まれても彼はそのありがたみが分からなかったのでしょう。

常に自分の気持ちだけで、人への感謝や相手の事を考える気持ちが欠けてしまっていることが人として悲しいです。

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小田原一家5人殺害事件の犯人は誰?加害者の現在や事件の動機とは

こんな事件を起こした犯人である少年Bについてより詳しく見ていきましょう。

犯人は誰?加害者の実名や顔とは

犯人は杉山優、当時18歳です。

当時の新聞では未成年である杉山を「杉山昇」、「杉田勇治」など仮名で報道する新聞もあれば実名で報道する新聞様々あったようです。

杉山は両親を亡くしており、弟と共に叔父に引き取られ町工場で金属の加工工場で勤務していましたが1949年2月に解雇され事件当時は無職でした。

過去には1947年杉山が16歳の時窃盗で逮捕歴もありました。

かなり古い事件である事と未成年の犯罪という事もあるのでしょう、顔写真などは公開されていません。

今なら未成年であろうがすぐにネットに公開されてしいますが、当時はまだネットが発達していなかったのもあるのでしょう。

犯人の動機は何だったのか?

動機は女湯ののぞき見を注意されたことですが、一部情報によると田浦湯の改築により杉山の部屋に雨が降った時しずくが入るようになり、日頃から恨みが溜まっていたというものもあるようです。

改築によって隣の家の一室に雨が入ってしまう状況がイマイチ想像つきませんが。

そもそも雨のしずくが部屋に入る杉山の家に問題があるんじゃないかと思ってしまいました。

犯人に下された判決

一審で死刑判決を言い渡され控訴は取り下げで進められていましたが、なんと裁判官が杉山に控訴を勧めました。

支援者が控訴取り下げを辞めるよう説得しても聞かなかったのですが、裁判官の親心のような気持ちで話をしてくれた思いが伝わったのでしょうか、この説得で控訴に踏み切ります。

しかしその後控訴、上告とも棄却となり死刑は確定しました。

ですがなんとサンフランシスコ平和条約の記念もあり恩赦により無期懲役に減刑

仮出所できたものの未成年の少女刺殺事件を起こし仮出所の取り消しとなり1985年(昭和60年)無期懲役+懲役8年という一生刑務所確定の判決となり、再度宮城刑務所に収監されます。犯行当時杉山は53歳、刑が確定したのが54歳でした。

犯人の現在やその後とは?

仮に素行が良かったとしてももう刑務所から一生出られなくなった杉山ですが、2009年宮城刑務所で70歳代の受刑者が首つり自殺をしたという情報があり、この受刑者が杉山である可能性が高いとされました。

それが杉山であれば78歳でこの世を去ったことになります。

2度目の刑が確定したのが54歳なのでその後24年刑務所で過ごしての自殺という事になります。

自分の人生を悲観しての自殺だったのでしょうか?

加害者家族の現在やその後とは?

加害者家族の事についての詳細は公開されていませんが、恐らく事件後ご近所付き合いなどできなくなったと思われます。

これは想像ですが、この住まいを離れて住むしかなくなったのではないでしょうか?これは昔も今も変わらないでしょう。

ご近所でこんな事件があったらあなたならその家の方とどう接しますか?私なら距離を置いてしまうかもしれません。

ある意味被害者である叔父さんと弟さんがどこかで幸せに暮らしている事を願います。

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小田原一家5人殺害事件の被害者は誰?現在の遺族やその後とは

被害者は誰?実名や顔とは

加害者の名前は杉山優と分かりましたが被害者一家の名前や顔写真などは公開されていませんでした。

ただし田浦湯は地元でも老舗の銭湯で訪れた方がSNSにアップされていました。

被害者の遺族の現在やその後とは?

田浦湯は取り壊されその裏手のお寺の駐車場になっているそうです。

この事件で唯一、一命を取りとめた長女Gは事件当時、頭、胸、顎、足のくるぶしなど計8ケ所刺され2ケ月入院。胸の刺された場所においては2センチずれていたら心臓に刺さっていた場所でした。

事件から3年後、長女は結婚し家族の命日に銭湯の仕事を再開しましたが今から9年前の2013年春に田浦湯は廃業となりました。

長女Gは2014年に取材を受けて、杉山が恩赦で死刑ではなく無期懲役、その後仮出所し再度事件を起こした事は知っていたと語っています。

宮城刑務所にいる時に「出所したら被害者たちの墓参りをしたい」と保護司を通じて連絡があったそうですが長女Gは墓参りをして欲しくないと断ったそうです。

そして宮城刑務所で自殺したとされる人物が杉山だとしたら、「自分の家族が虫けらのように殺害されたのだから一生刑務所で苦しんで獄死すればいい」と語られたそうです。

強い言葉ですが自分の家族が同じように殺害されたら、私ならこの長女Gと同じ言葉が出るかもしれません。

小田原一家5人殺害事件によりその後変わったことは?

杉山は恩赦により一旦減刑されましたが、いくら恩赦とはいえ大量殺人や死刑が確定しているような犯罪者の恩赦は現在はないようです。

2019年今の天皇が即位された時も55万人に見込まれる恩赦がありました。

この時の恩赦は罰金刑が主な対象で、罰金の納付が完済し3年間再び処罰されていない人や軽い罪に限定されたそうです。

今は殺人などの重い罪の服役囚への恩赦はないようです。

当時杉山が恩赦を受けられたのものかなり恵まれていた再起のチャンスだったのに、自分でそのチャンスも棒にふるとは何とも後味の悪い事件でなりません。

2度とこのような事件が起こらない事を願います。

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  1. 元同囚 より:

    杉山優氏は、千葉刑務所にて2010年頃の12月、午前10時頃、単独室内において脳梗塞(疑い)で死去されました。

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