付属池田小事件とは日本を震撼させた日本史上かつてない無差別大量殺傷事件です。
どんな事件だったのか、また犯人はどういう人物だったのか見ていきましょう。
池田小事件の内容まとめ!現場の場所やいつ起きたのかも確認
事件はいつ起きた?時代背景なども確認
事件は2001年(平成13年)6月8日に起きました。
この年は小泉純一郎政権発足、アメリカ同時多発テロ発生、東京ディズニーシー開園、USJオープン、明石花火大会歩道橋事故、映画「千と千尋の神隠し」が大ヒットした年でした。
付属池田小事件もこの2001年の大きな事件の1つとして歴史に残っています。
事件現場はどこ?場所や住所も確認
現場は大阪教育大学付属池田小学校(住所:大阪府池田市緑岡1丁目5番1号)です。
大学内では通称「府小(ふしょう)」「池小(いけしょう)」「池府(いけふ)」などと呼ばれていました。
池田小事件の概要!世間に衝撃を与えた犯行内容とは
2001年6月8日
- 9:40 犯人らしき人物が運転する白い車が猛スピードで駐車場から出ていくのが目撃される
- 10:00前 刃物店で犯人の男が長さ15.8センチの出刃包丁を購入
- 10:10過ぎ 犯人の男は包丁を緑色のビニール袋に入れ付属池田小の学校内へ侵入。
この時間ちょうど2時間目の終わりの休憩時間で担任が不在中に教室に侵入、次々と児童を刺して犯行に及びました。悲鳴を聞いた教師は犯人を追いかけ、また別の教師はその状況に気づき児童生徒を非難させました。
この時代はまだ学校に誰でも入れる状態でした。
何人かの教師が犯人の男を学校内で目撃していますが保護者だと思ったそうです。
事件後、男が学校に侵入した時に何故すぐ対処しなかったのかと学校の対応に非難があったようですが、包丁を見える状態で持っていたり、不審者と分かる状態じゃなければ対処するのは難しかったように思います。
池田小事件の犯人は誰?加害者の現在や事件の動機とは
犯人はいったどんな人物だったのか?なぜこんな事件を起こしたのか?
犯人について詳細を確認していきましょう。
犯人は誰?加害者の実名や顔とは
犯人の男は宅間守(37)です。
こんな事件を起こした男の人生はどうだったのでしょうか、触れていきましょう。
宅間守は兵庫県伊丹市生まれ、父、母、兄の4人家族で、幼少期から問題行動の多い子供でした。
母親は宅間守がお腹にいる時、「あかんわ、これ堕ろしたいねん私。あかんねん、絶対」と産むのを嫌がったそうです。
何かよからぬ直観があったのでしょうか。だとしたら母親の直観凄いですね。
そして母親は宅間が中学生の時に「お前なんか生まれてこなければよかった」と言っていったそうです。
家事が苦手な母親に変わり父親が家庭を切り盛りしていたそうですが、その父親はまた日常的に家族に暴力を振っていたようです。
宅間守の家族や生い立ち
そんな家庭で育った宅間は問題行動の多い子でした。
幼少期は三輪車で国道の真ん中を走って渋滞させる、線路に石をおく、電車に石を投げる、動物虐待など既に異常行動が垣間見えます。
高校時代は兵庫県の工業高校へ入学するもすぐに中退、その後定時制高校へ編入するもすぐ退学することになります。
社会人になりガソリンスタンドで数か月アルバイト、1981年には航空自衛隊へ入隊、1983年除隊処分、その後運送会社、トラック運転手、市営バスの運転手、ゴミ収集車、小学校の用務員、マンションの管理人など数十の職を転々としましたがどれも人とのトラブルで数か月で辞めており長続きしませんでした。
航空自衛隊は未成年の家出少女と体の関係を持った事で除隊処分を受け、マンションの管理人では若い女性宅へ家賃の集金と言って部屋に入り強姦事件に及び、その後精神科に入院しますが、入院中に5階から飛び降りて一命を取りとめています。
そしてその後統合失調症と診断されています。
管理人をしていた時の強姦事件後精神科へ入院したのは減刑してもらう為、5階からの飛び降りは親への嫌がらせだったと後に親へ宛てた手紙で打ち明けています。
バスの運転手の時には香水の匂いがキツイと乗客の女性に言いがかりをつけてトラブルとなり懲戒処分、小学校の用務員勤務時には教師らが飲むお茶に薬物を混入し免職。
他にも高速道路逆送、煽り運転のトラブルなど多くのトラブルを起こしています。
仕事は長続きしないとはいえ、公務員にまでなれています。現在の不景気とコロナ禍では羨ましい程次々と職につけていますね。
母親は精神を病み2016年亡くなっており、また7歳年上の兄は池田小事件の2年後自殺し亡くなっています。父親の現在は不明ですがご存命であれば80代位でしょうか。
犯人の動機は何だったのか?
トラブルが多いものの職には困らず、何故この事件を起こす事になったのか犯人の動機が気になります。
取り調べでは「エリートでインテリの子をたくさん殺せば死刑になると思った」と供述しています。
親との関係そして宅間は4度の結婚歴があり事件のキッカケがここにありました。
宅間守の結婚と離婚歴
1度目の結婚(1990年)
19歳年上の看護師と結婚。
協議離婚となり女性が120万円支払って離婚成立。
2度目の結婚(1990年)
1度目の離婚時に相談に乗ってもらっていた19歳年上の宅間の元教師の女性と1度目の離婚後すぐ結婚。
3度目の結婚(1997年)
婚活パーティーで離婚歴を隠して出会った2歳年上の女性に「結婚しなければお前を殺して俺も死ぬ」と強引に結婚を迫り、女性は実家の住所なども知られてしまっている為自分以外の身内に危害が及ばないよう仕方なく結婚。
4度目の結婚(1998年)
婚活パーティーで出会った2歳年下の女性と結婚するも用務員時代の薬物混入事件を起こした事で離婚。
こういった事件を起こす人物にありがちな独身で付きっている女性がおらず孤独なタイプとは真逆で宅間は4度の結婚に加えて獄中結婚もしています。
無理矢理結婚し、気に食わない事があると暴力的になる部分があるにせよ女性関係には恵まれていたようです。
勘当されたのも本人の自業自得、家族がいて結婚し職にもつけていたのに何がそんなに人への恨みになるのか分かりません。
犯人に下された判決
・2001年12月初公判、宅間は口笛を吹きながら入廷、池田小での殺人を認めました。
検察官が起訴状を読み上げると「座ったらあかんか」とぶっきらぼうに言い、裁判長から「立ったまま聞いてなさい」と言われました。
・2003年5月検察は死刑判決求刑
2003年6月弁護人による最終弁論が述べられますが宅間は謝罪の言葉を述べるどころか「死ぬことは全くびびってない」「しょうもない貧乏ったれ人生やったら今回のパターンの方が良かった」「幼稚園ならもっと殺せたと今でもこんなことばかり考えてしまう」と遺族を逆なでするような発言をしました。
2003年8月大阪地裁は宅間に死刑判決を言い渡しました。
裁判長が主文を言い渡す際に宅間は「最後にちょっと言わせてえな」と発言し裁判長に「今日は発言は認めません」と制されました。
「どうせ死刑になるんやったら言わせてくれ。たったメモ3枚や」
「今までおとなしくしとったんや、それぐらいあってもええやないか」
と持っていたメモを突き出して宅間は叫びました。
そして「被告人を死刑に処する」と2回繰りかえしました。
このやりとりは目に浮かびますね。
裁判長が主文を2回繰り返すこともめずらしいそうです。メモには何か書いてあったのでしょうか。良からぬ事が書いてありそうなのは想像できますね。
犯人の現在は何してる?その後や最後の言葉とは
死刑確定後支援者の女性と獄中結婚しました。
この女性の他にも別な女性からも告白を受けて文通をしていたそうです。
女性の家族の猛反対があるのは当然だと思いますが、養子縁組までして結婚した女性はどういう気持ちなのでしょうか。
獄中結婚した女性は死刑反対を訴える支援者らしいですが、こんな怖い人と結婚する気持ちが全く理解できませんが一定数犯罪者と結婚する女性がいるんですよね。
その後死刑が執行
死刑確定から1年足らず2004年9月14日は大阪拘置所で死刑執行されました。
戦後最速の死刑執行でした。
そして最後に刑務官へ妻へのメッセージを「ありがとうって僕が言ってたって、伝えて下さい」と残しました。
最後の言葉のように人への感謝の気持ちが持てたのに何故こんな事件を起こさなければならなかったのでしょうか。
本当に不思議でなりません。
ちなみに事件を取材していた記者が宅間の父親に死刑執行後、お参りさせて欲しいと申し出たところ、
「知らん、あのガキの遺骨はドブに捨てられても仕方ない」
と言ったそうです。
宅間は確かに殺人犯ですが肉親がそこまで言うとは驚きでした。
池田小事件の生き残りや逃げた教師の現在とは
池田小事件ではある教師が生徒を保護せず逃げたとネットで話題になりました。
いったいどうゆう事だったのか見ていきましょう。
逃げた教師は誰?なぜ注目されたのか
この池田小事件で宅間が侵入した教室には教師がいなかったと言われているのですが、実は岩崎真希(28)という教師がそこに居たのに一人逃げたとネット上でバッシングを受け、拡散されてしまいました。
ですが逃げたのではなく教室を出て警察へ通報していたのですが、生徒を置き去りにし通報する際警察と7分間も話した事で時間がかかりすぎているとも批判を浴びています。
生徒をかくまって刺された先生もいたそうなので命がけで生徒を守った先生は勇敢ですばらしいと思いますが、誰かが警察に通報しなければいけなかった事も事実です。
逃げたといわれる教師の現在やその後とは
逃げたと批判をあびた教師は事件後教師を辞めていますが、精神を病んでしまったとも言われています。
現在どうしているのか明らかにはなっていません。
いくら教師とはいえ28歳の女性がここまでネット上で批判され、教師も辞めてしまっているのは皆さんはどう思いますか?
この教師はどうしたら良かったのでしょうか?
生徒を避難させてあら警察を呼べば良かったと第三者なら考えますが、身長180㎝もあった宅間守のような男が刃物を振り回していたら誰でもパニックになるでしょう。
私はこの教師が避難されるのは気の毒に思います。
トイレで生き残りの生徒のその後とは
事件が発生し、教師らは児童生徒へ逃げるよう大声で呼びかけました。
教師はトイレに逃げ込んだ生徒には鍵を絶対に開けないよう指示しました。
トイレにいた生徒は生き残れましたが物々しいやりとりを聞いていた生徒らはこの事件で友達を無くし心の傷を負いました。
当時トイレで生き残った生徒がyoutubeで当時の心境を伝えて話題となりましたが、生々しいやりとりが分かります。
トイレ以外でも目の前で惨状を目撃してしまった被害者は成人するまでフラッシュバックが何度も訪れたとも言っています。
本当に何故あんな酷い事件が起きたのか、亡くなった方のご冥福を祈ると共に生き残れた被害者の方も幸せに暮らして欲しいと願います。
池田小事件の被害者は誰?現在の遺族やその後とは
被害者は誰?実名や顔とは
亡くなった被害者は8名で、1年生男児1名、2年生女児7名です。
負傷者は15名で、男児5名、女児8名、教師2名です。
亡くなった被害者の方は山下玲奈さん、酒井麻希さん、本郷優希さん他5名です。
池田小事件の68歩とは?
亡くなった生徒さんの一人である本郷優希さんのお母さんは、優希さんが致命傷を負いながらも歩いた学校の廊下に現場検証に行った際、血痕の痕を辿るとお母さんの足で68歩だったそうです。
警察からはここまでの傷を負ってこんなに歩けたとはなかなか無い事だと言われたそうです。
そして同じように苦しむ方の心のケアをしようと、グリーフケアの仕事をするという1歩を踏み出せたのです。
このような事件でお子さんを失っても後ろ向きな気持ちでいるのではなく、人助けしようと行動に移せるとは本当に尊敬します。
亡くなった本郷優希さんの母親のその後について、そして事件当時などについてはNHKの『事件の涙』でドキュメンタリーが放送されていました。
池田小事件には謎も残されていた?
この池田小事件はいくつか謎が残されています。
謎その1
逃げたと言われている教師が通報した時の警察とのやりとりを遺族が情報開示求めるも大阪府警は通話記録を破棄していました。
謎その2
死刑執行が早すぎる。刑が確定して1年弱で死刑執行されるのはあまりに早く、何か警察が隠蔽しているのでは?とも言われています。
謎その3
仮に警察が何かを隠しているとしたら、過去に犯罪を繰り返した宅間が精神異常者を装い減刑されている事に批判が集まらないようにしたのでは?と話題となっています。
他にも様々な謎がネット上で噂されていますが、真偽は分かりません。
宅間が死刑となっている以上今後も謎が明かされる事はないでしょう。
このような事件が2度と起こらないことを願いいます。
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