福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のその後!生き残りやメモの内容とは?

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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は福岡大学の学生が野外活動で山に登った際にヒグマに襲われ亡くなった獣害事件です。

どういう状況でこんな事件になってしまったのか詳しく見ていきましょう。

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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の概要まとめ!

事件はいつ起きた?時代背景なども確認

事件は1970年(昭和45年)に起きました。

1970年は大阪万博開催、日本航空よど号ハイジャック事件、三島由紀夫割腹自殺、東京都内で初めて歩行者天国ができた年であり、海外ではビートルズが解散した年でした。

これから見ていく福岡大ワンダーフォーゲル事件もこの年に起きたショッキングな事件でした。

事件現場はどこ?場所や住所も確認

事件現場となったのは北海道の日高山脈カムイエクウチカウシ山です。

現在の住所では北海道新ひだか町(旧:北海道静内郡静内町)です。

カムイエクウチカウシ山とは、なんと長くて覚えにくい名前なのでしょう。この山は登山家や地元の方の間で「カムエク」と省略して呼ばれる事が多いそうです。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の概要!

では具体的に何があったのか事件の詳細を見ていきましょう。

福岡大ワンダーフォーゲル部夏季合宿

1970年(昭和45年)福岡大学ワンダーフォーゲル部のメンバー5人は夏季合宿で北海道の日高山脈に登山に向かいました。

参加メンバーは下記の通りです。

A(リーダー20歳)
B(サブリーダー22歳)
C(19歳)
D(19歳)
E(18歳)

ワンダーフォーゲル部と山岳部(登山部)とは何が違うのかというと、山岳部は山を登る事が目的で激しい斜面の山や夏も冬も山を登るのに対し、ワンダーフォーゲル部は野外活動が目的で自然の中で生活し語り合う活動で、山と限らず海や平野なども活動の場で、山の場合は危険な冬山には登らずハイキングのように自然を楽しむのが大きな違いです。

ヒグマ出現

7月25日テントを張ったところ、ヒグマが出没し熊は数ⅿ離れた場所から様子を伺っていましたがその後テントの外に置いていた荷物をあさった為、食器や鍋などで音を出したり、焚火をしてクマに警戒させ熊を追い払い荷物をテントに入れました。

しかし4時間後、ヒグマが再び現れテントを引っかいて穴をあけた為そのまま寝るわけにはいかず交代で見張りをして朝まで過ごしました。

7月26日早朝4時間半頃、またヒグマが出没し今度はテントを倒した為危険を感じ5人はそこから逃げましたが、クマは彼らを追いかけずテントに残ったまま荷物から食べ物をあさっていました。

ヒグマは日本に生息する野生の生き物では一番大きく、その大きさは1.8~3.0m、体重100~500Kgほどあります。今回現れたヒグマは体重130㎏ほどでヒグマの中では小柄な方ですが、熊が目の前に現れテントを倒されたら慌てますよね。

私は昔、リードを外した誰の犬か分からない大型犬がこちらに向かって走ってこられた事がありますが、どうしてよいか分からずその場に固まっていた事があります。

熊なんかが出たら冷静でいられなさそうです。

救助要請

リーダーであるAはBとEに救助要請の為、下山する事を指示しました。

B、Eが下山途中で北海道学園大学や鳥取大学の登山グループと会ったので状況を伝え救助を呼んで欲しいと伝言を託し、BとEは他3人の元へ引き返しました。

残る3人はその間、熊の隙をついてテントから全員の荷物を取り返しに成功しました。

山の場所によってはスマホの電波が入らない場合もありますが、今の時代ならスマホやLINE、場合によってはTwitterで救助を呼び掛ける事もできそうですが、この時代は携帯など持っていないので山の中での救助要請は大変でした。

ヒグマ襲来

7月26日昼頃BとEが戻り5人は合流しテントを直ししましたが、夕方またヒグマが現れた為その場所から離れて鳥取大学のテントに逃げようと移動しました。

この時北海道学園大学、鳥取大学の登山グループはヒグマ出没を聞いて既に避難していました。

自分たちのテント周辺にいたハズの熊は5人を追いかけてきており、再び熊が出現し5人はパニックになり一斉に逃げ、熊はまずEを襲いEは死亡、Cはパニックになり走り出した為他のメンバーとはぐれてしまいました。

他の3人は逃げて岩場で朝を迎え、7月27日早朝霧で視界が悪い中、熊に恐怖を抱いて下山続けていたところ、またもや至近距離に熊が現れ3人は死んだふりをしましたが、目の前の熊に耐えきれずAは走りだしてしまいました。

ヒグマはお腹がすいていなくても人を襲う習性があり、執着心が強く一度あさった荷物を奪われたと思って襲ってきたようです。

よく熊が現れたら死んだふりをすれば良いと聞きますが、実際目の前にしたら私も怖くて逃げだしてしまうかもしれません。

調べてみると死んだふりは効果ない場合もあるそうです。エサと間違えて食べられたり、熊が興味を持ってしまうと危険な目にあう可能性があるようです。

救助とその後

BとDは下山途中にある工事現場で状況を伝え車を借りて下山、救助要請し7月28日警察と山岳連盟、猟友会により救急隊が結成され、福岡大のワンゲル部救助に向かいました。

そして7月29日にはAとE、7月30日にはCの遺体が発見されました。

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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生き残りのその後とは?生存者の現在

生き残った人は誰?

5人のメンバー中3人が亡くなった痛ましい事件ですが、この状況で生き残ったのは

B:滝俊二さん(サブリーダー22歳)、D:西井義春さん(19歳)でした。

 

この事件は2013年7月13日、北野たけしのアンビリーバボーで再現特集されています。

ヒグマが出没した状況を聞いた北海道学園大学や鳥取大学のグループはすぐに撤収している事を考えると、福岡大学のメンバーもすぐに下山すればよかったのでしょうね。

 

その後この山の八ノ沢カール(山と山の間のスプーン所にくり抜かれたような場所)で3人は火葬されました。

なぜ生存することができたのか

亡くなった3人に共通するのは1人になった人が次々と襲われているという事です。

もしメンバーが離れず集団行動していたら熊は5人めがけては襲わなかった可能性もあり、状況は違っていたのかもしれません。

2人が生き残れたのはやはり単独行動しなかった事だと思われます。

生存者の現在は何をしてる?

助かった滝俊二さんは当時22歳、西井義春さんは当時19歳だったので2022年現在は滝さん74歳、西井さん71歳となっています。

2016年にはお2人がNHKの番組でインタビューに答えているのですが、年齢的に今現在はお仕事を引退されているでしょうか。

熊に襲われた人のニュースを見るたびにきっと思い出さずにはいられない恐怖の経験となったでしょう。

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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件で亡くなったのは誰?最後のメモの内容とは

亡くなったのは誰?どんな人物だったのか

亡くなった3人は初めに亡くなったE:河原吉孝さん(最年少18歳)、次に亡くなったC:興梠盛男さん(19歳)、3番目に亡くなったA:武末一敏さん(リーダー)です。

救助隊が発見した時の状況は洋服がはぎ取られて裸で、顔は半分原形が分からない位損傷がひどく、体は臓器などが食いちぎられており悲惨な状態でした。

動物園で熊を見ると、大きくてもゴロゴロ寝転がってのどかな生き物に見えますが、今回事件を知り野生のヒグマの執念深く追いかけ回しや人を食いちぎる行動を知って熊って怖いと思いました。

また、熊がこのメンバーを敵だと判断して何度も襲ってきたのは、キスリング(登山用リュックのこと)を熊があさっていたのを、九州大メンバーがテント内に取り返した事が、熊にとって奪われた=敵とみなしたと言われおり、粘着質な性格で奪われたらいつまでも反撃して来るそうです。


ちなみに熊は死肉を食べるので野生の鹿などが亡くなったら食べて生きているそうです。死肉なんて虫が群がって腐っているでしょうに熊の臓器は強いですね。

熊は学習するそうなので人間を食べたら人肉の味、食料がここにあるなど覚えて同じことをするそうなので被害が増えていく可能性があるそうです。

被害者の遺族のその後や現在とは

被害者の遺族についてのその後や現在の様子について出てこないのです。この事件は熊の襲撃による痛ましい事件には間違いないのですが、同情の声がある一方すぐに下山しなかった事や荷物を取り返した事、熊を怒らせる事ばかりしてしまったので熊の知識もなく登山した自業自得という意見も飛び交いました。

被害者が亡くなって何年も遺族の情報が出てこないのはそっとしておいて欲しいと取材などに答えていないのかもしれません

被害者の残したメモの内容とは

被害者の1人である興梠さんが熊に襲われるまでの記録メモが残っており、当時の様子や心理状況が記録されています。

かなり長いメモなので今回はメモのポイントだけまとめました。

興梠メモまとめ

・逃げても石をなげても熊が何度も追いかけてくる
・食われてしまうと思った
・熊から逃げて皆とはぐれて1人になってしまった
・草木の音ですら気になり眠れない
・鳥取大の人達が救助要請してくれたことを祈っている
・1人テントに避難するも翌日テント外を見るとまだ熊がいた
・不安で恐ろしい
・ああ、早く博多に帰りたい

全文を読みたい方はネット検索すると出てくるので読んでみて下さい。

私がこれを読んできついなあと感じたのは

「ああ、早く博多に帰りたい。」

と書いてあった部分です。まだ20歳前後の若者が福岡から北海道に出向いて大学生活の夏季合宿を楽しみに活動していたでしょう、熊がうろついている山中で1人になってしまい、もうダメかもしれないと思った時の言葉が当時の心境をよく表している悲しい言葉だと思いました。

襲ったクマの大きさや剥製はどこに?

このヒグマは4歳のメスで、体長2ⅿ弱ありました。

銃殺され死亡後剥製となり日高山脈山岳センター何に展示されています。

救助隊や猟銃会のメンバーが発見し、10発一斉射撃してもすぐには死ななかったそうです。

また3人もの人間を襲っていますが熊の胃から人肉は出てきませんでした。

私は初め食べて消化したのかと思いましたが、実は怒った熊が人間を食いちぎってただぐちゃぐちゃにしただけだと言われています。

要は食べようとしたのではなく怒って殺したという事です。

ヒグマの剥製を見た方のSNS投稿を見ると以外と小さく本当に2ⅿもあるのかな?と感じたという事です。

どうやら射殺された時何発も銃弾を受けて皮膚がぼろぼろになり、剥製にする際ぼろぼろの部分を省いて縫い合わせた為、実際より小さくなっているそうです。

それでもあんな無残にも人を食いちぎったりするのですから、私は思ったより小さかろうがヒグマは怖いと思いました。

ちなみにヒグマは北海道にしか生息しておらず福岡大のワンゲル部はヒグマを知らなかった可能性があります。福岡で熊が出たニュースって殆ど見ないですよね。

ヒグマ遭遇時の対処法

最後にせっかくなのでヒグマに対する対処をまとめました

ヒグマに遭遇したら・・・

・1人ではなく団体行動をとる
・熊に背をむけない(ヒグマの目をみて後ずさり)
・退治しようと石など投げない(外敵とみなされる)
・熊があさったものは取り返さない(逆に興味をひかせる為に置いて逃げる)

その後に変わった出来事

カムエクは神の住む場所と言われていたのですが、いわくつきの場所となってしまいました。

事件の起きた山の現場には追悼プレートが置かれています。

現場ではその後熊による死亡事件は起きてないそうです。

登山家の方はもちろん、日本中が衝撃をうけた事件だったでしょう。

最近では民家に熊が出たなんていうニュースもよく見ますから、登山をしない方もこの事件を教訓にヒグマはもちろん熊には充分注意しなければいけません。

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